そして路地をさらに西へ、途中に「西尾浸落店」がありました。一瞬、何と読むのかわからず戸惑いましたが、今調べてみると「しみおとし」でした。さすがは京都ですね。軒先に大きな矢を飾っているお宅(何のお店だろう?)を撮影し、北野天満宮の脇を走り抜ければ平野神社に到着です。
言わずと知れた桜の名所、五十種類四百本の桜があるそうです。また入江敦彦氏のご教示によると、京都には「平野はん」という嘲りの句があるとのこと。(平野神社→北野天満宮の先にある→北野を越えて→汚のう肥えて) いやあ京都人の心胆寒からしめるユーモア感覚には脱帽です。桜は五分咲きですが、境内には花見のための有料桟敷席がもう設置されています。門の脇にある枝垂れ桜は満開。境内には「日本一大きいすえひろがね 磁石が就く霊石」がありました。
王朝貴族風の
トイレ男女表示を撮影。
それでは大徳寺へと向かいましょう。アーチ窓が並ぶ古いビル「浅田商店」、民家にしか見えない「明治湯」を撮影し、そして「文化遺産オンライン」で紹介されていた旧藤ノ森
湯に着きました。
ファサードの堂々とした唐破風、見事な彫り物、そして繊細なデザインのカラフルなタイル、なかなかお目にかかれない逸品です。残念ながら廃業され、今ではカフェとして利用されていますが本日は営業していませんでした。
そして大徳寺に到着、まずは重森三玲作のお庭がある塔頭の瑞峯院へ。
重森三玲庭園美術館のサイトを引用して、彼について紹介しましょう。
重森三玲(1896-1975)。日本美術学校で日本画を学び、いけばな、茶道を研究し、その後庭園を独学で学ぶ。三玲作庭の庭は、力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成される枯山水庭園。代表作は、京都の東福寺方丈庭園、光明院庭園、大徳寺山内瑞峯院庭園、松尾大社庭園など。また、日本庭園、茶道、いけばなの研究者として重要な業績を残している。三玲の名はフランスの画家ジャン・フランソワ・ミレーにちなんで改名したもの。
三玲が好んで使った言葉に「永遠のモダン」と「石に乞わん」がある。「永遠のモダン」とは意訳すると、寂びないモダンさのことで、作品が作られた当時だけ輝くのではなく、時代をこえてモダンに見え続けること。一方、「石に乞わん」とは石組みを行うときに石の命のままに石を立ててやることで、石の聞こえざる声を聞くこと。
ダイナミックな石組みと波打つ砂紋が印象的な独坐庭。
キリシタン大名大友宗麟にちなんで十字架を模して石を配置した静謐な趣の閑眠庭。
いずれも「永遠のモダン」という彼の志を十全に表現しているようです。
本日の五枚、平野神社(二枚)、旧藤ノ森湯、独坐庭、閑眠庭です。