甲斐路編(5):田野倉・禾生(11.5)

 河口湖行き普通列車に乗り込み、五分ほどで田野倉駅に到着です。めざすは、尾県(おがた)郷土資料館として利用されている旧尾県学校校舎です。印刷してきた地図と現地にあった案内地図を頼りに十五分程歩くと、神社の隣にある旧尾県学校校舎に到着です。玄関車寄せとベランダ、屋根の中央には宝形造りの屋根を乗せた太鼓楼、当時の県令・藤村紫朗が奨励した擬洋風建築の校舎です。完成は1878(明治11)年、学制公布を受けて、小形山地区の人々が一致協力して建設したそうです。火・木・土・日、国民の祝日の10:00~16:00には、無料で中の資料館が公開されています。それでは内部を拝見させていただきましょう。学校の沿革や往時の暮らしぶりを物語る資料を見ていると、「学校統合反対決議文」が展示されていました。概略を紹介しますと、1924(大正13)年に行政側がこの学校を統廃合しようとしたことに対して、地元の住民が猛反対をします。「小学校が地域のシンボルとなっているからには、単なる行政上・財政上の効率や計算だけで決着がつくものではありません」 結局、問題はうやむやとなり、存続となったそうです。"単なる行政上・財政上の効率や計算"だけしか眼中にない官僚諸氏、今も昔も変わりないのですね。しかしこの当時はこうした抵抗が可能でしたが、今はかなり困難になっているのではないでしょうか。コミュニティの解体と言ってしまえば話は終わってしまうのですが、そう簡単な問題ではないような気がします。これは宿題としましょう。麦藁でつくった、まるで現代彫刻のような斬新なデザインの蛍籠に驚嘆し、二階にある裁縫室に当時の女子教育のあり方を感じ入り、それでは駅へと戻りましょう。
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 田野倉駅から再び河口湖行き富士急行に乗ること五分ほどで禾生駅に到着。ところでこの駅名を読めますか。私は読めませんでしたが、"かせい"というのですね。駅のすぐ近くにあるのが旧明治医院、イオニア風の隅柱や、規則正しく並んだ四つのアーチ窓が愛らしい、キュートな小品でした。さて大月へと戻りますが、次の列車が来るまで三十分ほどあります。喫茶店も見当たらないので付近を散策して時間をつぶしました。見るべきものはなし…と言ったら失礼ですね。そこに人が暮している以上、より幸せな生活をつくりあげるためのささやかな痕跡が必ずあるはず。それを見つけられない己の眼力不足を自戒しましょう。"私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない"(テレンティウス) そして駅へ戻り、入線した「機関車トーマス」列車に乗って大月へ。ここから再び中央本線に乗って初狩へと移動ですが、時間が三十分ほどあるので、大月の町を散策することにしました。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-09-26 13:28 | 中部 | Comments(0)
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