甲斐路編(15):市川大門(11.5)

 三十分ほどで市川大門駅に到着、駅前で客待ちをしていたタクシーに乗り込み、舂米学校の校舎を経由して、市川教会で下してもらうことにしました。十分ほどで、小学校の一画に保存されている旧舂米(つきよね)学校校舎に到着です。正面玄関の車寄せ、二階のベランダ、吹き放ちの円柱、アーチ型の窓枠など、典型的な藤村式建築ですね。六角形の太鼓楼と、緩やかな曲線の正面屋根がいいアクセントになっています。竣工は1876(明治9)年、現在は富士川町民俗資料館として利用されているそうです。傍らに二宮金次郎像も保存されていました。
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 写真を撮って、市川教会に向かう途中で、車窓から透かしブロックを撮影。そして市川大門駅にほど近い市川教会の前で降ろしてもらいました。うーん、なんともキュートな逸品ですね。袴越屋根と玄関妻壁の切妻のコンビネーション、入口上部の半円放射状の装飾、「会教川市」と右から書かれた看板、いい味を出しています。竣工は1897(明治30)年。
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 なお運転手さんが、市川本町駅の方が近いと教えてくれたので、教会が面している「夢とロマンの街 今昔通り」商店街をすこし散策して駅へと向かいましょう。停止線が異常に長い交通安全足型を撮影。
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 嗚呼、閉店を告げる貼り紙が涙を誘う「こうべ書房」がありました。
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 途中で透かしブロックの優品をいくつもゲット、小井川とならび、こちらもサンクチュアリのようです。
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 マンホールには、橋と花火が描かれていましたが、この地のお祭りなのでしょうか。市川本町駅に付属した公衆便所でフェイス・ハンティング
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 そして入線してきた普通列車に乗り込み、約三十分で甲府に到着です。せっかくだから夕食を食べていきましょう。駅近くにあった「小作」で、山梨名物のほうとうと、地鶏南蛮揚げをいただきました。そして特急かいじに乗って帰郷。
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 というわけで甲斐編、ここに一巻の終了です。見残した物件は、先述の旧下山療院と、穴山にあるという水上写真館、再訪を期したいと思います。また武田信玄が釜無川の氾濫を防ぐためにつくった信玄堤が公園として整備されているとのこと。また甲府駅付近には、太宰治ゆかりの物件があります。彼は1938(昭和13)年からここ甲府に住み、翌年に井伏鱒二の仲人で結婚、御崎町に新居を構えたそうです。新居跡、下宿寿館跡、ゆかりの豆腐屋や銭湯「喜久の湯」跡、妻の実家である石原家跡などの碑があるとのこと。太宰を読み込んだとはお世辞にも言えない小生ですが、やはり気になる作家です。また昇仙峡の紅葉もぜひ見てみたいですね。西沢渓谷の紅葉も素晴らしいという情報も得ました。今年の秋にまた訪れそうな予感がします。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2012-10-09 06:17 | 中部 | Comments(0)
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