大井川鐡道編(5):牧ノ原大茶園(11.5)

 そしてガード下をくぐり、すこし歩くと金谷坂の石畳に到着です。1991(平成3)年、町民約600名が参加した「平成の道普請」によって430mを復元したとのこと。なお全国4,490人の石畳フリークのために申し添えておくと、往時を偲ぶことのできる石畳の街道は、ここと箱根峠と中山道十曲峠だけだそうです。復元された石畳の坂道をすこし上って戻ってきました。丸い石なので歩きづらいのですが、仕方がありませんね、何より旅人を難渋させたのは泥濘でしょうから。なお入口の脇には「石畳茶屋」があり食事もできますが、先を急ぐので入店せず。
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 こちらのトイレでお殿様とお姫様の男女表示を撮影。そして地図を頼りに、牧ノ原大茶園へと向かいます。
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 坂道をのんびり歩いていくと、向いの山の斜面に茶畑が見えてきました。林立するプロペラは霜除けのためのものですね。やがて車道に出ると、斜面を覆う茶畑、金谷の街並み、そして大井川を一望できる素晴らしいロケーションを堪能することができました。
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 そして牧ノ原公園に到着。ここからの眺望も素敵ですね、鉄骨造りの武骨な展望台があったので上ってみましたが、あまり眺めは変わりませんでした。なおこちらにも茶祖・栄西の像がありました。
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 そして道をはさんで、まるで緑の絨毯のように広がるのが牧ノ原大茶園。たしか小学校の社会科の時間に習った記憶がありますが、それ以来、夢にまでは見ませんが一度は訪れてみたかった地です。言うなれば"大人の社会科見学"ですね。スーパーニッポニカ(小学館)によると、茶園の開拓は1869 (明治2)年に徳川家旧臣の士族や大井川川越人夫の入植によって始まり、近在の農民の開墾も加わり産地化が進んだそうです。これまでも富山県礪波平野の散村や、濃尾平野の輪中など訪れましたが、これからも折にふれ機会を見つけて"大人の社会科見学"は続けていきたいと思います。
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 さてそれでは金谷駅へと戻りますか。駅近くの長光寺には松尾芭蕉の句碑がありました。"道のべの木槿は馬に食はれけり" 今、調べてみたところ、1684(貞享元)年に、江戸深川から東海道を歩いて伊勢、伊賀、大和、吉野、山城、近江、美濃、桑名、熱田、名古屋をまわり、郷里伊賀上野で越年。翌85年に奈良、京都、伏見、大津、尾張、そして甲斐を経て初夏江戸に帰着。以上のほぼ9か月の紀行を、発句を中心に述べた俳諧紀行文ですね。芭蕉の健脚にはほんとに頭が下がります。それはさておき、大井川を越えて小夜の中山の手前で詠んだ句のようです。そばにあった解説板には「意識・心情の深さから、平凡な事柄に深遠な悟りにも似た禅機的心象を感じる句である」と衒学的な説明がありました。うーん、よくわかりません。「あれっ気がついたら木槿が馬に食われちゃった、おもろいなあ」という解釈しかできない、浅学非才な小生でした。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-10-17 06:18 | 中部 | Comments(0)
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