大井川鐡道編(9):寸又峡温泉(11.5)

 駅前から寸又峡温泉行きのバスに乗り込み、山道を疾走すること三十分ほどで到着です。
c0051620_8395886.jpg

 今夜の塒「翠紅苑」にチェックイン、荷物を部屋に置かせてもらい、フロントで観光地図をいただいて、いざ寸又峡の散策にでかけましょう。宿の近くには旧大間小学校がありましたが、現在は公民館として利用されています。二宮金次郎像もちゃんと保存されていました。
c0051620_8402476.jpg

 「奥大井サスペンスブリッジ殺人事件」というけったいな幟がありましたが、このあたりでテレビドラマの撮影が行なわれたのでしょうか。気になるのでインターネットで調べてみたところ、そうではなくて、川根本町商工会青年部が立ち上げた観光企画でした。寸又峡には多くの吊り橋が点在しますが、吊り橋は英語で「サスペンションブリッジ」、このサスペンションとサスペンスをかけて「サスペンスブリッジ」という言葉を造ったそうです。内容は、カップルで吊り橋を渡っているところを撮影してもらい、その数が多いほど寸又峡と接岨峡の宿で特典サービスが受けられるという企画。涙ぐましい集客努力ですね、頑張ってください。手の込んだ透かしブロックを撮影し、さて旅館「ふじみや」を捜さねば。
c0051620_8405167.jpg

 えっ御存じない? 金嬉老が籠城した旅館です。ウィキペディアから抜粋して引用しましょう。1968年2月20日、暴力団から借金返済を求められた金は、静岡県清水市で暴力団員2人をライフルで射殺し、翌日には寸又峡温泉の旅館「ふじみや」で経営者・宿泊客ら13人を人質として籠城しました。彼は猟銃とダイナマイトで武装し、88時間にわたる籠城の結果、2月24日に報道関係者に変装した静岡県警察の捜査員によって取り押さえられ逮捕されました。この間、人質の解放条件として要求したのが、彼がずっと以前に目撃したと主張する警察官による在日韓国人・朝鮮人への蔑視発言について謝罪することのみでした。判決は無期懲役、1999年9月に、二度と日本に入国しないことなどを条件に70歳で仮出所、韓国に強制送還されました。帰国後、殺人未遂と放火および監禁事件を引き起こした為、逮捕され服役。2010年3月26日に釜山市の病院で死去、享年82。本人の希望により、遺骨は静岡県掛川市に納められています。事件の背景についての知識がありませんので、コメントはできませんが、ちょっと心に引っかかる事件なので、後学の為に現場を見ておきたいと思った次第です。通りすがりの地元の方に訊ねると、すぐに教えてくれました。まるで何事もなかったかのように静かに佇む旅館の全景を撮影。なお「新しい風土記へ 鶴見俊輔座談」(朝日新書246)の中で、姜尚中氏がこう語っておられました。(p.15~16)
 1968年に旅館に人質をとって立てこもった金嬉老事件が起き、それを多くの人がテレビで見ました。しかし、当時の日本で、金嬉老は単なる犯罪者として扱われた。共感と「同胞の恥だ」という思いの二律背反で、多くの在日は口をつぐみました。高校生だった私は、鬱勃とした暗い気持ちがあって、自分たちは潜在的に犯罪者ではないかと思い、大変なトラウマになりました。だから勉強して、その世界から離れたいと思った。母親は、大学を出ても就職もないのだから、それよりプロ野球選手になれ、といっていましたね。
 憲法に「日本国民は」とあるのを読んで、日本国籍がない在日は年金など国に面倒を見てもらえないから、現金がないと将来が考えられないと親がいった理由がわかりました。憲法や戦後民主主義は自分たちと違う世界なんだ、と。

 本日の一枚です。
c0051620_8411165.jpg

by sabasaba13 | 2012-10-21 08:42 | 中部 | Comments(0)
<< 大井川鐡道編(10):寸又峡(... 大井川鐡道編(8):千頭駅(1... >>