「核の海の証言」

 「核の海の証言 ビキニ事件は終わらない」(山下正寿 新日本出版社)読了。以前に紹介しました「放射線を浴びたX年後」という映画を見た後、もっとこの事件について知らなければいけないとポレポレ東中野の売店で購入しました。映画にも登場した山下氏は元高校教師で、長年、高校生たちと地域の現代史の発掘に取り組んできました。本書から引用しましょう。
 四万十川をいだく山村や黒潮のよせる漁村に育ってきた高校生たちがいる。彼らのなかから、1983年の夏に「幡多高校生ゼミナール」というサークルが生まれた。
 「足もとから平和と青春を見つめよう」と地域の現代史を発掘しはじめた。ごくふつうの地域のなかに現代史の証言者がおり、かけぬけた青春の足跡のあることを知った。
 そして、1985年、広島・長崎の被爆四十周年のこの年には地域の被爆者調査にとりくんでいた。
 この時、ビキニ水爆実験の被災漁民を発見し、この巨大な事件にいどむこととなった。第五福竜丸をふくめ、のべ1000隻以上の被災船が太平洋沿岸の漁港にいたこと、そして被災漁船員たちが放射能障害で苦しんでいる実態に初めて光をあてた。
 彼らは、先輩から後輩へと受け継ぎ、30年以上も隠されてきた歴史的事件をふたたび浮上させ、以降27年間の地道な調査を継続してきた。(p.7)
 そして徐々に明らかになってきた驚くべき事実。その概略は映画でも手際よく描かれていましたが、本書を読んでさらによく分かりました。アメリカ政府および日本政府の、非人間的かつ悪魔的かつ犯罪的な数々の行為には、総毛立ちます。米国は、中部太平洋上でキャッスル作戦後に行った87回の核実験のうちほとんどが春季から夏季にかけて行ないましたが、この時期は、中部太平洋上のマーシャル諸島、日本、フィリピン、メキシコ、中央アメリカも雨季です。この時期に大気圏内核実験を行えば、これらの地域の放射性降下物は増える一方、米国の放射性降下物は減るという判断をしたのだろうと推察できます。(p.126) 1954年の「ブラボー」水爆の実験では、アメリカ政府は、ロンゲラップ島民をわざと避難させずに被曝させ放射能が人体に与える影響を研究するという、人体実験を行いました。(p.140~3) 同年3月に第五福竜丸事件が世界に報じられると、世界的な反核運動・反米運動が起こることを恐れたアメリカ政府は、何とかしてこの事件を早く幕引きとし、そうした動きを沈静化しようとします。当時アメリカは、濃縮ウランや原子力技術を外交カードとして西側同盟を勢力下におき、軍事ブロックを作ろうとしていました。日本政府も、原子炉や原子力技術をアメリカから得たいがため、翌年1月に「見舞金」200万ドル(7億2000万円)を受け取り、アメリカの法的責任は一切問わないという政治決着がなされました。「日本の原子力発電は、ビキニ事件の被害額と引き替えに出来上がったのも同然で、私たちはそのための人柱にされたのです」と第五福竜丸元乗組員・大石又七氏がおっしゃっていますが、ここにも原発の血塗られた歴史がありました。(p.114) なおこの時に被曝した漁船や貨物船は1000隻を超えると推定されますが、見舞金の一部は第五福竜丸乗組員だけに渡されます。その結果、被災した船員や漁業関係者から怒りや妬みを買い、二重の苦しみを背負うことになりました。これは他の被災船員から孤立させれば、「第五福竜丸事件」として処理でき、それ以上問題は広がらないという日本政府の策略ですね。結局、他の被災船に関する調査は行われず、「被爆者手帳」も支給されず、健康障害と高額の医療費に悩まされ、多くの方がガンで亡くなりました。(p.183) それに先立つ12月、日本政府はマグロ放射能検査中止を閣議決定、その結果マグロ漁船は、ビキニ・エニウェトク環礁近くの危険区域に、核実験期間中であっても進入して操業しはじめました。もちろん日米両政府による警告はありません。多くの漁船員が被曝し、後年にガンで亡くなる方が続出することになります。また汚染マグロは日本の港に水揚げされ、放射能検査を受けることなく食卓にのぼりました。また汚染マグロを一年間冷凍室に保管して、ハム・ソーセージにして販売した大手企業もあったそうです。ガンによる死亡率が近年高くなった気がしますが、関連があるのかもしれません。(p.157~8) また久保山愛吉氏の担当医であった熊取敏之氏は、ビキニ事件が契機となって発足した科学技術庁・放射線医学総合研究所(放医研)に設立二年後の1959年に招かれ、その後所長となりました。この過程で久保山氏の死因について「すべての症状を、放射線被爆による影響だと決めるには、医学的データが足りない」と見解を変化させました。(p.109) 後の1979年、第五福竜丸以外の被災船に関する記事を掲載しようとした朝日新聞西部本社社会部に対して、東京本社からストップがかかりました。その根拠となった「科学的に証明できない」という意見を述べたのも熊取敏之氏です。(p.199~200) 因果関係の立証を妨害するために科学者に利権を与えて操作するというやり口であろうと、私は推測します。
 また、「ブラボー」水爆実験の翌日の1954年3月2日、中曽根康弘が原子炉予算を衆議院に提出(3月5日に通過)、以後日本は原発開発の道をまっしぐらに進んでいきます。同時に、核兵器への抵抗感を和らげようと、在日アメリカ大使館が原子力の平和利用を宣伝するために、読売新聞・日本テレビを率いた正力松太郎氏と手を組んで世論操作を展開することになります。正力氏は1955年11月~12月に東京日比谷公園で、米国の原子力平和使節団を迎え「原子力平和利用博覧会」を開催、「読売新聞」がキャンペーンを張り、36万人が入場したそうです。(p.222~3)

 やれやれ… "悪魔的"という前言は撤回しましょう、あまりにも悪魔の方々に失礼ですね。あまり適当な表現は思い浮かばないのですが、日米両政府には"ろくでなし""人非人""外道"という形容を進呈しましょう。官僚(軍人も含む)と企業のためには、自然環境や人の命など一顧だにしない。その行為と実害の因果関係は科学者を動員して立証させない。立証がなければ徹頭徹尾責任を負わない。本書を読んで、そのやり口をあらためて思い知りました。そして両国政府から、この事件に対する反省の弁がないということは、これからも繰り返すということですね。福島原発事故についても、日本政府は御用学者を総動員して因果関係は立証できないと強弁し、被曝した人々を切りすてるのではないかな。山下氏もこう述べられています。
 ビキニ水爆実験で「死の灰」は成層圏に達して一年以上も北半球全域に降り、ストロンチウム90、セシウム137などの放射能汚染が続き、発ガン率(ヨーロッパ放射線リスク委員会統計、6500万人のガン、小児、胎児死亡)を高めた原因と言われている。特に、日本の小児ガン死亡率が核実験にそって高まり、1968年には戦前の七倍となっている。
 福島原発事故の放射能汚染による内部被ばくの影響を予測にあたって、この「キャッスル作戦」の記録とマーシャル諸島の被災者、ビキニ被災船員の健康調査分析が重要になるだろう。
 今後もっとも注意しなければならないことは、東電・政府などが「原発事故で死亡した人はいない」と強調し続けて、放射線被災との因果関係を消し去ろうとすることである。高いレベルの放射線に長期間さらされる危険性のある原発労働者、ガレキ処理労働者、農民、漁民、潜水夫などや、低レベルでも影響を受けやすい子どもたちに病状が出た場合に、専門医によって精密検査を実施することと、その後の健康追跡調査が求められる。これをしなければ、放射線被ばくによる大規模な「完全犯罪」を許し、ビキニ事件の二の舞となる危険性も考えられる。(p.231)
 そう、まさしく「完全犯罪」です。私たちも褌を締めて政府を監督・監視しなければいけませんね。特に許し難いのは、"低レベルでも影響を受けやすい子どもたち"に対する対策やケアに真剣に取り組んでいないことです。私たちに残されたたった一つの希望が子ども、その子どもたちを見殺しにする、これが亡国でなくてなんでしょうか。田中正造の「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国」演説を思い起こします。"人類は子どもに対して最善のものを与える義務を負う(新渡戸稲造)""けがれなく、あらゆる可能性に満ちた子どもがうまれてこなかったら、この世はどんなにか恐ろしいことであろう(ジョン・ラスキン)""私たちは子どものケアは単なる片手間の仕事ではなく、つまずきながら進む人類が立ち直るための唯一の必須の道であることを理解しなければならない(エルネスト・サバト)""人間を食ったことのない子どもは、まだいるかしらん。子どもを救え… (魯迅)"といった先哲たちの言葉を引き合いに出すまでもなく、子どもたちを蹂躙する国に末来はありません。さらに許せないのは、率先して子どもたちを救う任務をもつ文部科学省が、本気の対策を行っていないどころが、相も変わらず「化粧直しの原発神話副読本」を発行し、配布していることです。(p.239) 科学技術庁から受け継いだ原発利権を守るため、教育予算を抑えながら原子力教育費を増やし、「原発は安全」だと子どもたちを洗脳してきた経緯についてまったく反省をせず、子どもたちを緩慢なる死へと放置し、原発利権を死守しようとするわけですね。(p.235) いやはや、よくぞ「いじめをなくそう」「自殺を予防しよう」などと言えるものだ。"見上げたもんだよ屋根屋の褌"です。「私たちは、毎日低線量の放射線に被曝しています。ただ被曝しているという事実に怖がるだけや、知っているだけで何もしないのではなく、これからは放射能について学び、放射能の性質や被曝した場合どんな被害や対処法があるのかを知り、放射能を正しく怖がろうと思います。高知の方と触れあって、私の気持ちがリフレッシュできましたし、福島の問題を一緒に解決しようとしてくれていることを知り、高知に行って良かったと思います」という福島の高校生の思いが、文科省の官僚諸氏に伝わることは…ないだろうなあ。(p.22)

 というわけで日本国政府のおぞましさに慄然としてしまいますが、小さいけれど確かな希望があります。山下氏とともに調査に携わった高校生たちの姿です。高校生の聞き取り調査に答えた方々の言です。
 もうこんな話は一切せんつもりだった。マグロ船やめて帰ってきて口をつぐんで、船員手帳や免許証も全部放棄・処分して、自分の記憶に残さないようにした。初めは一切話したくないと思っていたけど、(高校生が)何回も来てくれて、二、三回目くらいの時に、こんな話でも多少の役にでも立つのなら、話してあげようという気持ちにかわった。高校生に心打たれて「口を開こうか」という気持ちにかわった。(p.36)

 今年の八月に、高校生たちが聞き取り調査にやってきました。いまになって何十年も前のことを掘り出すことは、大変困難でもあるでしょう。それなのに、わざわざ幡多から出てきて、なんの欲がらみでもない。いまの世の中にあって珍しいと、私は感動しました。水爆とはなんだったのかという、真理に向かう姿。別れのとき、握手を求め、『ありがとうございました。お元気で』といった言葉や態度に現れていた純真な性格。そういう子どもたちに感動し、このビキニ問題をもう一度考えてみるきっかけとなりました。(p.211~2)
 こういう若者たちがいるということが、私たちの希望です。過去の出来事に関心を持ち、その真実の姿を究明し、現在と未来について真摯に立ち向かおうとする若者たち。ま、文科省の方々は、こうした高校生が増えないような教育を全国の学校に強要するため日夜奮励努力されていることと思いますが。

 最後に、被曝の半年後に亡くなった第五福竜丸無線長・久保山愛吉氏の言葉を紹介します。
 侵略とはなにも強力な軍隊に侵されるだけではない。姿なき武器、水爆放射による空中の汚染も大なる侵略と考えられる。(p.105)
 そう、日本は今、現実の侵略を受けていることを銘肝しましょう。ビキニ事件の被災者を治療されてきた森清一郎医師は、被曝後25年を経過してから、大変な発ガン率が出ていると指摘されています。(p.208) この侵略を引き起こした責任者諸氏に落とし前をつけさせるとともに、手遅れにならないうちに対策を講じなければなりません。次の衆議院総選挙では、この侵略に気がつかない候補者、見て見ぬふりをする候補者、立ち向かおうとしない候補者のみなさんを、国政の場に上がらせないようにしたいものです。
by sabasaba13 | 2012-11-01 06:13 | | Comments(0)
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