山形編(14):米沢(11.8)

 事前に調べたところによると、米沢の南にある李山のあたり、南原小学校李山分校の約600メートル南にあるそうです。二十分ほど走り、運転手さんが「たしかこのあたりだと思ったのですが…」と呟くと、立派な案内板がありました。かなり知名度が上がっているようです。道標の指し示す通りに進んでいくと、なんと展望所が設置してありました。車から下りていそいそと行ってみると…畠の向うに巨大なトトロがいました! これはくりそつだ。まん丸く生い茂ったクリやナラの木が胴体、並んで突き出た二本の杉が耳、(たぶん)偶然とはいえ、よくぞここまで似たものです。♪トットロ、トトロ、トットロ、トトロ♪と唄いながら山ノ神もご満悦の表情、「あたしと一緒に撮って撮って撮って」とせがみます。いいよいいよいいよ(金もかからないし)、ばしゃばしゃばしゃと小山のように撮ってさしあげました。嗚呼、世界も微笑んでいます。
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 そして米沢方面へと引き返し、運転手さんにパンフレットを渡して、喜多方へと通じる八谷街道(国道121号線)に向かってもらいました。まずは下の町の草木塔ですが…地図に記されている地点にそれらしき塔も道標もありません。運転手さんが近くを通りかかった地元の方に訊ねると、「なんでまたそんなものを見にきたの」と言わんばかりの怪訝な表情で、通り過ぎた墓地の一角にあると教えてくれました。すこし戻ったところに、斜面に広がる墓石群があったので早速下車して捜索を開始。運悪く小雨が降ってきたので傘をさしながらうろうろと歩き回りましたが、なかなか見つかりません。あきらめかけてタクシーに戻ろうとし、車道脇にあったいくつかの墓石に眼をやると…あった。「草木塔」と刻まれている小さな石がありました。ガイドマップによると、建立は1826(文政9)年、町方施主と記されているそうです。その近くに無味乾燥なひょろ長い案内用石柱が立っていたので、これを目印にすればよさそうです。
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 そして次なる上屋敷の草木塔へ、今度は解説板があったのですぐにわかりました。幸い雨もあがっています。こちらは「草木供養塔」と刻まれており、建立は1800(寛政12)年、施主は瑞林寺と解説されていました。どうやら古い草木塔には"供養"という文字が記されているようです。
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 だんだんコツがのみこめてきたぞ、細長い石柱・解説板・丸っこい石を目印にすればいいのだな。ちょっとした宝探しの気分です。私と山ノ神と運転手さんで、鵜の目鷹の目、「あれそうじゃない」「いや、違いますね」「うん、石柱の形が違う」と喧々諤々、ワイワイ言いながらの捜索が続きます。八谷街道に戻ってしばらく行くと、また解説板と石柱をゲット。これは上中原の草木塔です。建立は1865(慶応元)年、施主は三田沢講中。三田沢とは、口田沢、神原、入田沢で、現在でも五月二十日前後の早朝に供養を行っているそうです。
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 それではあと一つだけ拝見して、グループホーム「結の木」に向かってもらうことにしましょう。最後の一つは神原の草木塔、しょうしょう手間取りましたが見つけることができました。建立は1823(文政6)年、やはり"供養"という文字があり施主は記されておりません。
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 というわけで、草木塔めぐりはこれにて落着。それにしても、草木の恩恵を感謝し、刈り倒した草木の魂を供養するという、何とも優しく自然への畏敬の念に満ちたmentalityを取り戻すことはできないのでしょうか。さもないと、付け焼き刃の文明に陶酔し、もうすっかり自然の支配に成功したと思い上がっているわれわれに、いつの日にか鉄槌がふりおろされるような気がしてなりません。

 本日の四枚です。草木塔は、上から上屋敷、上中原、神原です。
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by sabasaba13 | 2012-12-09 08:49 | 東北 | Comments(0)
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