九州編(35):水俣(11.9)

 宿代を支払ってすぐ目の前の八代駅へ、8:00発の鹿児島本線熊本行き列車に乗り込み、8:03 に新八代駅に到着。こちらで九州新幹線に乗り換えます。構内には、矢岳第一トンネルにかかる扁額、山縣伊三郎揮毫の「天険若夷」、後藤新平揮毫の「引重致遠」の拓本が展示してありました。そして8:15発の鹿児島中央行き「さくら403号」に乗車。
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 座席にあった車内誌をぱらぱらと眺めていると…川内(せんだい)がなかなか面白そうですなあ。今、インターネットで調べた内容を補足しながら列挙します。*江之口橋:肥後の名工・岩永三五郎が、薩摩藩で手掛けた最後の石造眼鏡橋 *天狗鼻海軍望楼台:日清戦争後に沿岸防備のために設けた望楼台 *長崎堤防:薩摩藩内での最大規模の干拓工事により貞享四年(1687)に完成 *寄田の棚田:近代につくられた石積みの棚田 そして何といっても川内原子力発電所とその展示館。いまだ収束の目処さえたたず事故の原因究明すらまともにされていない福島第一原発の事故の結果、深甚なる反省をしたのか、蛙の面に小便なのか、ぜひともこの目で確かめたいものです。いつか訪れてみましょう。
 そして8:29 に新水俣駅に到着。事前に入手した情報によると、この駅では小生御用達の「駅から観タクン」というサービスが利用できます。2時間5000円という格安料金で、融通無碍に行程を選べるという優れもの。さっそく駅の窓口でクーポンを購入し、駅前で客待ちをしていたタクシーに乗り込み、水俣市立蘇峰記念館(旧淇水文庫)、徳富蘇峰・徳冨蘆花の生家、チッソ工場、水俣病資料館、八代海をまわってもらうということで交渉成立です。まずは駅からすぐ近く、水俣市役所の前にある水俣市立蘇峰記念館へ。無愛想な面持ちですが、縦長窓の配置がユニークなビルです。竣工は1929(昭和4)年、昭和初期の鉄筋コンクリート(RC)建築の好例だそうです。その由緒ですが、徳富猪一郎(蘇峰)・健次郎(蘆花)は水俣の生まれ、それぞれ7歳と2歳までこの地で暮らし、父・一敬(淇水)の熊本藩庁出仕にともない熊本に移り住むことになります。その後ジャーナリスト・思想家として大成した彼が、故郷の水俣に一万円を寄付、これをもとに水俣町が建てた図書館がここ旧淇水文庫、そして今では蘇峰記念館となっています。
 その近くにあった「水俣ゆかり文人の関連史跡」という案内板を見ると、おっ、高群逸枝の墓があるぞ。女性史学の泰斗、これはぜひ掃苔しなければ、しかし市役所から徒歩六分というものの、御親切にもとなりに掲示してあった地図で確認すると、市役所の背後にある山の中腹にあるようです。これからの旅程もあるし…断腸の思いで探索は断念。もし時間が余ったら、寄ってみることにしました。
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 が、結論を言ってしまえば、その余裕はなく訪れることはできませんでした。せめてものお詫びに、わが家の本棚に埋もれている(はずの)『火の国の女の日記』(講談社文庫)を発掘して読んでみたいと思います。後日談、本棚を発掘したところ、思いのほかあっけなく再会することができました。巻頭をすこし斜め読みすると、次のような素敵な「せめて私の身の上ばなし〈民謡風に〉」に出会えたので、紹介します。
わたしゃ野生の一本(ひともと)野菊
雨のふる日も風吹く夜も
泥にまみれて立ち上がり
愚痴をいわずにきたのです
花はしぼんですがれてしまい
やがて散る日となりました。
けれど私のぐるりには
おなじ土から咲いて出た
若く多くの花もある
せめて私の身の上ばなし
なにかのためになるならと
それがこの身にのこされた
いまは最後の希望なの
そうよ最後のねがいなの
 何とも言えず、いいなあ。これはぜひ通読しなければ。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-03-06 07:29 | 九州 | Comments(0)
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