九州編(36):水俣(11.9)

 それはさておき、次は近くにある徳富蘇峰・徳冨蘆花の生家へ。蘇峰・蘆花が幼少の一時期を過ごした旧徳富家の由緒ある建物、1790(寛政2)年の建築で、創建年のわかる町屋造としては、県内最古だそうです。兜造りの屋根は珍しいですね、私も喜多方の杉山集落と、鶴岡の致道博物館でしか見たことがありません。たしか解説では、前者は積雪対策、後者は養蚕室の採光・通風のためと記されていた記憶がありますが、こちらは何のためなのでしょう。
 そしてタクシーに数分乗って、いよいよ水俣病を引き起こした企業、チッソ水俣工場へ。水俣を訪れようと腹を決めたきっかけは、やはり福島第一原発の過酷事故でした。その後、ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマと、並べて言及するケースを時々耳にしましたが、核による甚大な被害を受けた三つの地域を記憶に留めようということでしょう、もちろん異論はありません。ただ前二者はアメリカによる確信犯的行為、福島は政治家・官僚・財界・学者・メディア・司法による未必の故意(ほんとに安全だったら大都市近郊に建てますよね)、いわば共同正犯的行為であるという違いは忘れないようにしましょう。それはともかく、ヤナカ、ミナマタ、そしてフクシマという流れも見過ごせないことに思い至りました。そう、官僚と財界が共謀して利権を追求した結果、その犠牲とされた地域です。あらためて思うに、谷中村が亡ぼされた後、なぜ水俣の悲劇を防げなかったのか。また水俣病が発生した後、なぜ福島の悲劇を防げなかったのか。いろいろと理由はあるでしょうが、やはり官僚と財界(そして政治家)の責任が有耶無耶にされたことが大きいと思います。ということは、今回の事故についても、過去にさかのぼってきっちり落とし前をつけさせないと、また次の深淵が私たちを待ちうけているということです。丸山真男氏が指摘された「無責任の体系」、そして高橋哲哉氏の提言された「犠牲のシステム」、こやつらを払拭するには私たちみんなの相当の覚悟と不断の努力が必要でしょう。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-03-07 06:17 | 九州 | Comments(0)
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