次なる物件は、熊本学園大学の産業資料館として保存されている、旧熊本紡績電気室。1894(明治27)年に建てられた、熊本紡績の赤煉瓦工場の一部です。全国的に見ても、明治20年代の紡績工場建物はほとんど残っていないため、貴重な産業遺産だそうです。そしてペダルをこいでいると、「戦争イヤだから 変えないで!憲法九条を」という立て看板がありました。
まっことその通り、異議なし。民衆を犠牲にして支配勢力が利益を得る、その最たるものが戦争ですよね。違うというのなら、フリッツ・ホルムが提唱する「戦争絶滅受合法案」を成立させていただきたいものです。
戦争が開始されたら、10時間以内に、次の順序で最前線に一兵卒として送り込まれる。
第一、国家元首。第二、その男性親族。第三、総理大臣、国務大臣、各省の次官。第四、国会議員、ただし戦争に反対した議員は除く。第五、戦争に反対しなかった宗教界の指導者。
次に見学したのは質朴な日本家屋が二軒並ぶ、徳富記念館。1870(明治3)年から蘇峰・蘆花兄弟が幼少時代を過ごした旧宅です。そして九州学院高等学校講堂兼
礼拝堂へ、1924(大正13)年に竣工された恰幅のよい建築です。なお設計はヴォーリズ、彼の多彩な作風には驚かされます。
せっかくここまで来たのですから、ちょっとだけでも水前寺成趣園に寄りましょう。熊本藩主細川家が造園した、大きな池と起伏ゆたかな築山が印象的な庭園です。なおお土産屋さんには、おてもやんの
顔はめ看板がありました。
その近くにあるのが、熊本洋学校教師ジェーンズ邸。熊本洋学校に外国人教師・ジェーンズ氏を迎えるために、1871(明治4)年に建てられた、熊本で最初の西洋建築です。1・2階にベランダをめぐらせたコロニアル風建築です。そのすぐ近くには漱石旧居(第三の家)が保存されていました。1897(明治30)年9月から翌年3月までの七ヵ月をここで過ごしたとのことです。
次なる物件へ移動する途中で、風変わりな
透かしブロックを二つ撮影。
そして慈愛園旧宣教師館に到着、現在はモード・パウラス記念資料館となっています。将棋の駒のような形状のスレート葺屋根と、大きな出窓が何とも愛らしい、洒落た洋館です。竣工は1927(昭和2)年。なおモード・パウラス女史という方は、アメリカ出身のルーテル派宣教師、1920(大正9)年から1959(昭和34)年まで、日米戦争中をのぞいての35年間、熊本に滞在して老人ホーム、子供・乳児施設、女性救済施設としての「慈愛園」を運営するなど、社会福祉の発展に寄与された方です。同じ敷地内にあるのが、熊本ルーテル学園神水幼稚園
園舎。変化に富んだ張出部や、大きな窓に眼を引かれます。中央玄関の半円アーチ窓ともこっとしたむくり屋根が何とも魅力的。
本日の一枚です。