足尾鉱毒事件編(7):佐野市郷土博物館(11.11)

 ここから十分強自転車で走ると、田中正造特別展示室のある佐野市郷土博物館です。入口前には前をきっと見据える彼の銅像がありました。入館して学芸員の方に写真撮影の可否を訊ねると、簡単な書類に必要事項を記入したうえで許可されました。特別展示室の中央には、被害地域を示す地図模型の上に屹立する正造の像。その周囲に、日記、書、幸徳秋水に依頼し彼が訂正した直訴状など、彼に関する資料が展示されています。
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 中でも胸を打たれるのが、彼が持ち歩いた合財袋と、その中にあった遺品の展示です。小学生用のノートに記された日記帳(三冊のうちの一冊)、河川調査の原稿、新約全書、帝国憲法と馬太(マタイ)伝の合本、小石三個。この他に鼻紙少々と採取した川海苔を入れた瓶があったそうです。展示されていた遺品を凝視していると、まるで彼が信じていたものの象徴のように感じられました。神、自然、自分、そして憲法。
 なお展示の中で、小石を集める理由を記した日記(1913.1.9)が紹介されていたので転記します。
○正月九日 うつの宮ニ来泊す。思ふニ予正造が道路ニ小石を拾ふハ、美なる小石の人ニ蹴られ車ニ砕かるゝを忍びざれバなり。海浜に小石の美なるを拾ふハ、まさつ自然の成功をたのしみてなり。人の心凡此くの如シ。我亦人と同じ。只人ハ見て拾わず、我ハ之を拾ふのみ。衆人の中ニハ見もせずして踏蹴けて行くもの多し。今の眼中人民も同胞も兄弟モなきもの。イカデ泥土にまみれたる小石を顧みるなきハ不善者の常とす。汝の身心玉ニあらずして玉を愛すべからず。況や碌々たる石塊の中ちニ玉ありと思ハざれバなり。ばく然天下を見る。砂利泥土を以てするのみ。
 さてこれから彼の生家を訪れた後、正造終焉の家である庭田清四郎家に寄りたいのですが、いくら調べても正確な所在地がわかりません。せっかくなので先程の学芸員さんに訊ねてみると、餅は餅屋、詳細な住宅地図を使ってすぐに教えてくれました。さっそく当該地の付近をデジタル・カメラで撮影させてもらい、丁重にお礼を言いました。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2013-04-20 07:55 | 関東 | Comments(0)
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