足尾鉱毒事件編(11):庭田清四郎宅(11.11)

 それでは田中正造終焉の家、庭田清四郎宅へと向かいましょう。さきほど博物館で教えていただき撮影した詳細な住宅地図をデジタル・カメラのディスプレイで確認しながら、県道7号線(佐野環状線)をくぐるとすぐに見つかりました。庭田清四郎氏のご子孫が、正造が病臥し絶命した部屋を当時のまま保存し、来訪者も快く迎えてくれるということですが、ご不在のようですので今回は遠慮しました。なお前掲書が、木下尚江の談話・著作をもとに臨終の様子を再現されているので引用させていただきます。
九月四日正午遂に翁の最後が来た、この日は珍しくいい天気だった。私は朝、翁の枕頭に座して「いかがですか」と訊ねた時、翁は「おれの病気問題は片づきましたが、どうも日本の打壊しというものはヒドイもので、国が四つあっても五つあっても足りることではない」と言い出して眉間に谷のようなしわを刻み、深い煩悶をせられた。
昼近く、不意に「岩崎を呼べ」といわれた。岩崎佐十が枕辺に進むと、あの目で睨みつけ「おまえ方、大勢寄ってるそうだが、おれはちっともうれしくも有難くもねェ、おまえ方は田中正造に同情して来ているのだが、田中正造の事業に同意して来ているものは一人も居やしねェ、いって皆にそう言えッ」
かつて議会で怒号したソックリの大声で怒鳴りつけた。岩崎は頭を垂れて出ていった。
翁は突然、「起きる」といわれた。全身の力をこめて床の上にあぐらをかいた。私は背に廻り、両手で腰を支えると「いけねェー」といって、手を払われた。やむなく胸で背を支えた。夫人は正対してうちわで風を送っておられた。三回、五回、凡そ十回ばかり、「フーッ」と息を吐き切った時、「おしまいになりました」夫人は静かに顔を伏せた。(p.71)
 ううむ、臓腑を抉られるような翁の獅子吼です。私などついつい正造翁の偉業に心惹かれてしまうのですが、重要なのはそれを顕彰し記憶するだけではなく、彼の事業を受け継ぐことなのですね。そう、国家権力の横暴や科学技術の暴走から、自然と人間の暮らしを守ること。出典を記録しなかったのは迂闊でしたが、彼のこんな言葉を思い出しました。「国民監督を怠れハ治者為盗」「物質進歩の力らハ人の力らを造り又天国をも造る。然れども此天国ハ多くの人を殺して造る天国なり」 しかし私たち日本人はその事業を十全に受け継ぐことができず、治者の監督を怠り、多くの人を殺して物質的天国に安住し、挙句の果ては、事故が起きたら文字通り日本が四つあっても五つあっても足りないくらいの核(原子力)発電所を乱立させてしまいました。前掲書によると、正造の絶筆は、日記における次の一文だそうです。
○悪魔を退くる力らなきものゝ行為の半ハ其身も亦悪魔なれバなり。己ニ業ニ其悪魔の行為ありて悪魔を退けんハ難シ。茲に於てさんげ洗礼を要す。さんげ洗礼は己往の悪事ヲ洗浄するものなれバなり。
○何とて我れを
 悪魔を退ける力をどうしたら身につけることができるのか。まだまだ、田中正造から学ぶべきものは多そうです。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-04-24 06:15 | 関東 | Comments(0)
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