足尾鉱毒事件編(17):藤岡町歴史民俗資料館(11.11)

 そして県道9号線を北上し、渡良瀬川を渡ると藤岡町歴史民俗資料館に到着。合同慰霊碑から二十分ほどかかり、現在の時刻は午後四時半となりました。しかし時すでに遅し、午後四時に閉館でした。指を加えて中を眺めていると…職員の方が仕事をされています。駄目でもともと、あたってくだけろ、あきらめたらそこで試合終了、いかにも史跡探訪をしている実直な市井の一歴史愛好家のような顔をして、見学をさせてもらえないかとお願いしました。すると「結構ですよ」という快いお返事、感謝感激雨霰、さっそくご厚意に甘えて見学をさせていただきました。谷中村や強制破壊後に正造や村民が抵抗の場とした仮小屋の写真、着物、杖、書簡、歌の掛軸、矢立など正造の遺品、谷中村の出土品、強制破壊の時に使用された槌などが展示されていました。
c0051620_6145971.jpg

 中でも目を引かれたのが一本歯の下駄。彼はこれを履いて、獅子奮迅・東奔西走していたのかと想像すると感無量です。泥濘を歩きまわるために特注したそうですが、立ち話をするときなどバランスをとるのに苦労するので長くは使われなかったとのこと。職員の方々に丁重にお礼を言って退出、そして同じ敷地内にある田中正造の銅像を撮影。
c0051620_6151849.jpg

 1978(昭和53)年に砂原放光氏によってつくられたもので、強烈な威圧感をもって谷中村の方角を凝視していました。なお前掲書によると、正造自身はこうした銅像や記念碑を嫌っていたそうです。生前、正造の頌徳碑を建てようという話が持ち上がったとき、彼はこう反対しました。
 岩崎さんはじめ、そんなことをいうようでは困った。記念碑だとか銅像というものをこしらえようとすると、必ず会計のことでもつれができる。僕はこれが大嫌いだ。まして僕の話を実行するでもなし、ただ記念碑や銅像などつくったとて何にもならない。
 死ねば川へ流すとも、馬に食わせるともかまわない。谷中の仮小屋で野垂れ死にすれば何より結構でガス。墓だの宮だの銅像だのというものは、金ばかりかかってつまらないものです。(島田宗三 『田中正造翁余録』)

 本日の二枚です。
c0051620_6154467.jpg

c0051620_616215.jpg

by sabasaba13 | 2013-04-30 06:16 | 関東 | Comments(0)
<< 足尾鉱毒事件編(18):田中霊... 足尾鉱毒事件編(16):旧谷中... >>