足尾鉱毒事件編(25):まとめ(11.11)

 というわけで、かなりの強行軍でしたが、日本近代史における「犠牲のシステム」の原点、足尾鉱毒事件と田中正造関連の史跡をまとめて訪れることができました。なお旧谷中村の支援者が多く、田中正造らが上京時に古河駅を利用したことから縁が深い古河には、明治天皇に直訴を行う様子が刻まれている「田中正造翁遺徳の碑」があることを付記しておきましょう。
 さて、原発と放射能とによって、正造曰く「国が四つあっても五つあっても足りることではない」状況に追い込まれているのが現今の日本です。しかし、為政者やメディアは、その問題に本気で取り組もうとせず、尖閣諸島や竹島問題で中国や韓国に対する敵意と日本人のナショナリズムを煽りたてるばかり。ま、だから米軍基地やオスプレイが必要なのだという伏線なのでしょうが。DAYS JAPAN(2012.10)によると、昨年のペンクラブ会議でどなたかがこう言ったそうです。「先覚諸島や竹島どころではない。今私たちの国土は、放射能に侵略され、失われている。国境の内部でそれは起こっている」 さて、私たちは、為政者を監督し、国家権力の横暴や科学技術の暴走から自然と人間の暮らしを守るという田中正造の事業を受け継ぐことができるでしょうか。間違いなくそれを受け継いだ一人、原発を批判し続けてきた原子力工学者の小出裕章氏を紹介する記事が朝日新聞夕刊「ニッポン人脈記」(2012.9.6)に掲載されていたので紹介しましょう。
 京都大学の原子炉実験所は、大阪府南部の熊取町にある。助教の小出裕章(63)の部屋には、田中正造の写真が置かれている。
 農民とともに、足尾銅山の鉱毒被害を告発した正造。小出は時折、この写真を見つめる。昨年3月、福島で原発事故が起きた時もそうだった。
 東京出身の小出は、高校時代に見た原爆展で被害のすさまじさを改めて知った。そのエネルギーを人類の末来に役立てたいとも思い、東北大の原子核工学科に入った。
 入学翌年の1969年1月、小出は学内の生協のテレビに映った東大紛争の映像に息をのむ。安田講堂に立てこもる学生、攻め込む機動隊。東北大でも学生運動はあったが、別次元の烈しさだった。
 小出は活動家たちの主張に耳を傾けた。学問の役割とは何か、彼らはそれも問うていると小出は思った。
 問いかけは自分の専攻分野に向かった。広島の原爆で核分裂したウランは800㌘。これに対し、標準的な原発は1基につき年間1㌧のウランを燃やしている。いったん暴走すれば、このエネルギーは人間を襲う。
 本当に安全なら、なぜ電気を大量に消費する都会に原発を置かず、過疎地にばかりつくるのか。この問いに答えられる教員はいなかった。「国がやっていることだから」「我々にも生活がある」。こんな言葉が返ってきたこともあった。
 小出は原発の建設計画が進む宮城県内の女川町に赴き、住民と語り合った。公害の歴史も勉強し、明治天皇に直訴まで試みた田中正造の生涯をくわしく知る。「少しでも近づきたい」。小出は女川の反対運動に加わった。
 そして来年は田中正造没後100年です。どのような催しや顕彰がなされるかはわかりませんが、重要なのは彼の志した事業を受け継ぎ発展させること。その一点だけは忘れないようにしたいものです。そのためには、自らの不幸と苦悩の原因を究明しようとする意識をもち、その力をつけることが肝要だと思います。その原因を中国人や日本人のせいにして、現行の国家機構や社会制度を維持しようとしている日本/中国の為政者たちに騙されないようにすることも大事ですね。今読んでいる『人生と運命』(ワシーリー・グロスマン みすず書房)というとてつもなく面白い小説に、下記のような一節があったので紹介し、ここに筆を置きます。
 反ユダヤ主義は、自らの不幸と苦悩の原因を究明する力のない国民大衆の意識の低さの表われである。無知な人々は、自らの大きな不幸の原因が国家機構や社会制度にではなくユダヤ人にあると見る。(第2巻p.262)

 本日の一枚は、谷中村です。
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by sabasaba13 | 2013-05-11 07:14 | 関東 | Comments(0)
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