そして宇治川のほとりにある山本宣治の実家「花やしき浮舟園」に連れていってもらいました。フロントで「山本宣治資料室」を見学したい旨を告げると、道路をはさんだ向かい側、花やしき所有の家々が建ち並ぶ一画に連れていってくれました。そして狭い路地の奥にあった家の鍵をあけると、こちらが資料室。
手書きの説明や彼の書、デスマスクや鞄や衆議院バッチ、彼の柩をかつぐ人びとを描いた大きな絵が雑然と展示してありました。なおこの絵は、以前に
姫路市立美術館で見た大月源二作の『山宣葬』(1929)と同じものなのでしょうか。博雅の士のご教示を乞う。
山ノ神とともに、ひとつひとつじっくりと拝見、あらためて彼の生涯をよく知ることができました。最後の演説の一節を刻んだ石碑があるのでしょう、その拓本が展示されていました。揮毫は大山郁夫。「山宣ひとり孤壘を守る だが私は淋しくない 背後には大衆が支持してゐるから」 彼の衣鉢を継ぎ今も孤塁を守って闘っている方々がたくさんいることでしょう、その闘いの一翼に連なりたいものです。そうそう、別所温泉にある「
山本宣治記念碑」を訪れたことがあるので、よろしければご照覧ください。死の四日前、不況に苦しむ長野県上田地方の小作人たちが、タカクラ・テルの縁戚にあたる山宣を招いて講演会を開いていたのですね。彼の死を悼んだ農民たちが、抗議の意をこめて翌年に建立した石碑です。
丁重にお礼を言って鍵をフロントに返却し、中の島を歩いて対岸へと渡ります。幸い雨はあがりましたが、陽はさしそうにありません。すこし歩くと曹洞宗の古刹、興聖寺に到着です。表門から山門まで続く琴坂はもみじのトンネルにおおわれていますが、今年はいまひとつ色づきがよくないようです。残念。
なお紅葉の穴場、三室戸寺と萬福寺にも行く予定でしたが、山宣資料室で時間をとられたので割愛。再訪を期しましょう。次に向かうは中書島にある、これも穴場という情報を得た長建寺です。京阪宇治駅から列車に揺られること約十分、中書島駅に到着です。駅前の商店街には異形の物件が屹立していましたが、新地湯という
銭湯でした。地図を頼りに数分歩くと長建寺に着きましたが、それほどもみじも多くなくちょっと期待外れ。黄色に輝く公孫樹の散り紅葉は見事でしたが。すぐ前にある濠川(ほりかわ)と月桂冠大倉記念館を撮影して中書島駅へと戻りました。
本日の四枚です。