そして二十分ほど東へ走ると、わが心の蓮華寺に到着です。小振りですが、雅趣にあふれ、しかも訪れる人もそれほど多くない紅葉の穴場。
何回も来ていますが、今回も期待を裏切りませんでした。山門をくぐると、きれいに色づいた楓と公孫樹、その散り紅葉がお出迎え。脇にある石仏群は、京都市電河原町線の敷設工事に際して発掘されたものだそうです。河原町周辺はかつて鴨川の河原で、戦災や天災による死者や刑死者の屍が打ち捨てられる遺棄葬の場であり、そうした死者を弔うための石仏群が、鴨川の氾濫によって埋没していたらしいです。
そして書院の座敷にあがると、池と庭園を一望することができます。作庭者として石川丈山もしくは小堀遠州の名が挙げられることもありますが、造営の年代には両人とも故人だったのでそれは違うとのこと。しばし座して、紅葉を水面に映す美しい光景を満喫。
なお池の周囲を歩くことはできず、こちらから眺めるだけの池泉鑑賞式庭園です。ここからお庭におりることができ、本堂のまわりを散策。茶人好みの蓮華寺形灯籠を愛でながら、去りゆく錦秋を楽しみました。
さてそれでは本日最後の訪問先、琉璃光院へと向かいましょう。高野川に沿った国道367号線の坂道をひいこらと十数分のぼり、比叡山ケーブル八瀬駅に自転車を置き、すこし歩くと琉璃光院に到着です。おおっ、この時期だけの特別拝観とあってたくさんの方々が訪れています。すこし行列に並んで、瀟洒な数寄屋造の書院へと入りました。解説板によると、ここ「八瀬」の地は、「矢背」とも記されるように、壬申の乱で背中に矢傷を負われた大海人皇子(天武天皇)が「八瀬の釜風呂」で傷を癒されてより、平安貴族や武士たちに「やすらぎ」の郷として愛されてきたそうです。琉璃光院は明治に建てられた別荘で、囲碁本因坊位の対戦場ともなったとか。座敷や縁側から、紅葉とさまざまな苔と一条の清流が見事なコラボレーションを奏でる「琉璃の庭」、池泉庭園の「臥竜の庭」を拝見。俗塵を振るい落としました。なお邸内には、日本式蒸し風呂の原型「八瀬のかま風呂」がありました。
それでは一路京都駅へと向かいましょう。時刻は午後三時十五分、ほんとうは東山の
養源院に寄りたかったのですが、時間的にちょっと厳しいでしょう。石橋を叩いて渡る、新幹線の発車時刻に遅れぬよう、涙を呑んで割愛しました。さすがに八瀬から京都駅までは時間がかかりましたね、南座の前に到着したのが午後四時すこし過ぎ、そして午後五時少し前に京都駅にたどり着きました。「京都サイクリングツァープロジェクト(KCTP)」に自転車を返却し、山ノ神は駅構内でお土産を物色。夕食として、「ゐざさ」の焼
さば鮨と柿の葉寿司を購入して新幹線に乗り込み、帰郷。
本日の七枚、六枚目までが蓮華寺、最後の写真が瑠璃光院です。