三渓園編(1):前口上(11.12)

 2011年の紅葉狩りもいよいよ最終局面とあいなりました。今季の掉尾を飾るのは、そう、横浜三渓園です。以前に一度訪れたことがありますが、紅葉の時期ははじめてです。せっかくそこまで行くのですから、神奈川県立近代美術館葉山館に寄って「ベン・シャーン展」を拝見することにしましょう。そして帰りがけに、椿山荘で錦秋を愛でてフィニート。うん、これでいきましょう。
 師走初旬のとある日曜日、湘南新宿ラインに乗って横浜へ、根岸線に乗り換えて根岸駅で下車。ここからバスに乗ること約十分、バス停「本牧」で下車して徒歩へ三渓園へと向かいます。途中で珍しい意匠の透かしブロックを二つゲット。
c0051620_6135869.jpg

 ん? 「亀の子石」? 解説板によると、大昔、漁師の網にかかった大亀が石と化したもので、咽喉を守る神として崇められているとのこと。百日咳などが治ると亀の子たわしを奉納する習わしで、なるほどいくつものタワシが積まれていました。
c0051620_6141924.jpg

 十分弱で三渓園に到着、ホームページからその由来について引用します。
 三溪園は生糸貿易により財を成した実業家原三溪によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000㎡に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。(現在、重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟)
 東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地は、三溪の手により1902年(明治35)頃から造成が始められ、1914年(大正3)に外苑、1922年(大正11)に内苑が完成するに至りました。三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、前田青邨の「御輿振り」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。
 ついでに原三溪についても紹介します。
原三溪(本名富太郎) (1868-1939)
 岐阜県厚見群佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。幼少の頃から絵、漢学、詩文を学び、1885年(明治18)東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。1888年(明治21)頃に跡見学校の助教師になり、1891年(明治24)に、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍。原家の家業を継ぐと、個人商社を合名会社へと改組、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも様々な面を持ちあわせた三溪は、住まいを本牧・三之谷へ移すと古建築の移築を開始し、1906年(明治39)三溪園を無料開園するほか、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。1923年(大正12)の関東大震災後は、横浜市復興会長に就任し、それまでの作家支援を止め荒廃した横浜の復興に力を注ぎました。三溪自身も書画をたしなみ、その作品の一部は、園内の三溪記念館に収蔵されています。

by sabasaba13 | 2013-05-27 06:15 | 関東 | Comments(0)
<< 三渓園編(2):三渓園(11.12) 京都錦秋編(10):蓮華寺・琉... >>