朝目覚めてカーテンを開けると、今日もいい天気です。テレビをつけて大雑把な天気予報を見ると、地中海沿岸を除いてオール晴れ。本日もコルドバ→セビリア→マラガと長距離移動の日です。朝食をいただき荷物をまとめ、ホテル前に横付けしてくれたバスに乗り込みました。
そしてグアダルキビル川のほとりで下車。ローマ橋の向こうに見えるのが本日の目玉の一つ、メスキータですね。それでは「スーパーニッポニカ」(小学館)に依拠して、コルドバの歴史を紹介しましょう。ここコルドバは、ローマによって紀元前169年ごろに創設され、哲学者セネカを輩出するなどイベリア南部におけるローマ文化の中核都市として繁栄します。しかし8世紀初頭にイスラム教徒によって征服され、ついでダマスカスを追われたウマイヤ朝がここに亡命政権をたて、その首都として栄えます。いわゆる後ウマイヤ朝ですね。10世紀には東のバグダードとコンスタンティノープルに比肩する西方随一の都市に発展し、「西方の珠玉」とまで評されます。古代ギリシアやローマの文献がアラビア語によって伝えられ、これらを学ぼうとヨーロッパ中から知識人・学者が集まってきたそうです。しかし11世紀前半には内戦の場と化し、さらにその200年後にキリスト教徒の支配下に入ってからは西のセビリアに繁栄を奪われてしまいました。ちなみに詩人のガルシア・ロルカは『ジプシー歌集』の中で「神々しく枯れたコルドバ」と謳いあげています。
そして現地ガイドさんに引きつられて、いよいよ見学の開始。メスキータやアルカサル(王城)の石壁が朝陽に染め上げられて、その川面に映った姿とともに美しいこと美しいこと。
ローマ橋を渡りながら、グアダルキビル川を撮影。
そしてメスキータに到着。785年、アブドゥル・ラフマーン1世によって建造が開始され、987年に完成された、最も美しいと言われたモスクです。しかしイスラムの支配時代が終わると同時にカトリック教会となり、1523年にはゴシック式の祭室をもつ大聖堂へと改築されてしまいました。中に入ると…まさしく円柱の森! 大理石と赤煉瓦を交互に組み合わせたアーチとそれを支える円柱がつくりだす無限のリズム、立ち眩みさえ覚えました。安野光雅氏が『スペインの土』(朝日新聞社)の中で、「抽象的な幾何模様は、イスラム文化の精華であるが、このモスクは無限にくりかえす三次元構造の模様の中に人を導き入れて、その座標感覚をうばおうとするかに思えるのである」とおっしゃっていたのも宜なるかな。
奥にあるミフラーブ(メッカの方向を示す壁龕)を飾る装飾の饗宴にも圧倒されました。
しばし夢遊病者の如くふらふらと円柱の間を彷徨い、ばしゃばしゃと
写真撮影。しかしカトリック教徒による改造もはなはだしく、一画にはあまりにも場違いなカテドラルが設けられていました。
また本来はかなり明るいはずなのですが、やはりカトリック教徒による改造で、23もあった扉口のうち五つを残してすべて塞がれてしまいました。安野氏が「神が、人の行いを正しく導こうとなさるのが本当ならば、宗教はすべて同じ目的を持つはずであり、異教であるだけの理由でそれを邪教とさげすみ、互に戦うのは、神の教えに背くことであろう。明らかに不調和なモスクの改造は、国土回復戦(レコンキスタ)の傷跡に見えてならなかった」(p.36)と言われている通り、まったくもって残念な改造です。でも完全に破壊しなかったのは、やはりこの"美"に心打たれたからだと思いたいものです。
本日の四枚です。