スペイン編(12):グラナダ(11.12)

 そしてバスへと乗り込み、団体旅行の定番、お土産屋さんへと連行されてしまいました。
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 数分見て手持無沙汰となり、附近を散策。そして今夜の塒、ホテル・カミノ・デ・グラナダへと到着しました。ガルシア・ロルカが「無為の町であり、瞑想と空想のための町である」と謳ったグラナダの町を徘徊したかったのですが、旅程には含まれていません。無念。そのロルカが家族と夏を過ごし、『ジプシー歌集』『血の婚礼』などを執筆した農園(記念館として公開)を見たかったなあ。再訪を期しましょう。なお彼は1936年8月19日、グラナダ郊外のビスナール村でファランヘ党員に銃殺され、38歳の生涯を終えています。せっかくですので、「スーパーニッポニカ」(小学館)より彼の生涯について引用しましょう。
 フェデリコ・ガルシア・ロルカ(1898-1936) スペインの詩人、劇作家。6月5日、グラナダ県の小村フェンテ・バケーロスの裕福な農家に生まれ、この村で幼少年期の大半を過ごし、11歳のとき家族とともにグラナダ市に移る。中高等教育(バチリエラート)修了後、地元の大学で文学、法律を学びながら青年期を送り、1919年マドリードに出てから28年まで、おもに「学生の家」で勉学の青春時代を過ごす。この間、エドワルド・マルキーナ、ルイース・ブニュエル、サルバドール・ダリら、優れた芸術家仲間との交友関係をもった。29年なかばから気分転換のためにアメリカを訪れ、キューバを経て翌年秋に帰郷後、学生劇団「ラ・バラッカ」を結成、文筆活動のかたわら、各地を巡り演劇の地方公演に情熱を注いだ。詩作、劇作のみならず、演出も手がけ、講演旅行にも出かけ、音楽、絵画にも才能をうかがわせる多才な人物であった。36年8月19日、グラナダ市郊外ビスナール村でファランヘ党員に銃殺され、内戦初期犠牲者として38歳の生涯を終えた。
 なおロルカの死について、アルベール・カミュはこう語っているそうです。(『ロルカ・スペインの死』 イアン・ギブソン 晶文社)
 われわれはあの瞬間から、一つの時代に突入したのだ。それは、自由な人間なら誰でも、ある日自分が死刑執行の銃口の前に立たされることもあるかもしれないと、まともに考えてもおかしくない時代である。その時代がいまもなお続いているのだから、当然ながら、自由な人間なら誰もがその覚悟を定めておくか、あるいは少なくとも、自分の運勢や自分の信念について、その可能性を計算に入れておくのが正しい。ロルカの死は秩序にかなっていた。あれ以来われわれが生きている汚ならしい秩序に。そしてグラナダでの処刑は、人間たちに向って、彼らが由由しい時代に入ったこと、つまり、詩人というものが、詩人がいては都合がわるいと考える人びとによって銃殺されることもあり得る時代に入ったことを、告げていたのである。(p.314~5)
 最後に私の好きなロルカの言葉を紹介しましょう。「よい中国人はわるいスペイン人よりも、わたしにちかい人です。わたしはスペインを詠い、骨の髄までこの国を感じていますが、しかし、わたしはそれ以前に世界人であり、すべての人びとの兄弟です。ですから、わたしは、政治的国境というものを信じません」

 そして夕食をいただきました。
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 部屋でシャワーを浴びてテレビをつけると、スペイン出身のラファエル・ナダルの試合を放映していました。えてして彼の強烈なトップ・スピン・ショット(エッグ・ショット)が注目されるのですが、見逃せないのがフットワークの素晴らしさです。若いプレーヤーにはこういうところを見習ってほしいですね。
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by sabasaba13 | 2013-06-16 06:27 | 海外 | Comments(0)
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