瀬戸内編(8):下関(12.3)

 そして「床屋発祥之地」という記念碑を撮影、鎌倉時代中期に藤原政之がここ下関で、新羅人の髪結職からその技術を学び、日本初の結髪所を開いたそうです。その結髪所の奥には、亀山天皇と藤原家祖先を祀る立派な床の間(祭壇)があり、いつとはなしに「床の間のある店」と呼ばれ、転じて「床場」、さらに「床屋」という屋号で呼ばれるようになり、下関から全国へ「床屋」が広まったそうな。おしまい。なおこのあたりに金子みすゞが住んでいたので、彼女に関連する場所に「金子みすゞ 詩の小径」という碑がいくつかたっています。亀山八幡宮の近くにあったのが「三好写真館跡」、自殺する前日の1930(昭和5)年3月9日にここで最後の写真を撮ったそうです。その心情はいかばかりであったか、想像しようとしても言葉になりません。
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 そして詩碑「日の光」を拝見し、「商品館跡」の碑へ。上山文英堂支店があったところで、みすゞはここで働きながら多くの詩を創作しました。
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 ベランダの連続アーチが印象的な赤煉瓦建築・旧宮崎商館、ちょっとぶっとんだ感じのモダンな旧電信電話庁舎(田中絹代ぶんか館)を撮影。彼女は下関出身だったのですね。今、ウィキペディアで彼女が出演した映画を調べてみましたが、私が見たものは「陸軍」(1944年、木下惠介監督)、「雨月物語」(1953年、溝口健二監督)、「赤ひげ」(1965年、黒澤明監督)、「サンダカン八番娼館 望郷」(1974年、熊井啓監督)の四本でした。お恥ずかしい。なお余談ですが、「煙突の見える場所」(1953年、五所平之助監督)という映画にも出演していますが、故井上ひさし氏によるとこれをもじった「煙突の入る場所」というストリップ・ショーがあったそうです。ごめんなさい、もう言いません。「ろうきん下関支店」は、正面に屹立する日本のドーリア式柱が印象的な恰幅のよい建築。その近くに「上山文英堂書店本店跡」の碑がありました。
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 みすゞが住んでいたところで、結婚の後、自殺したのもここです。刻まれていた「みんなを好きに」という詩を引用しましょう。
「みんなを好きに」

私は好きになりたいな、
何でもかんでもみいんな。

葱も、トマトも、おさかなも、
残らず好きになりたいな。

うちのおかずは、みいんな、
母さまがおつくりなったもの。

私は好きになりたいな
誰でもかれでもみいんな。

お医者さんでも、烏でも、
残らず好きになりたいな。

世界のものはみィんな、
神さまがおつくりなったもの。
 何という底無しの優しさよ。まさに「愛せよ。人生においてよいものはそれのみである」ですね。それゆえに、夫の非道な行為への憎しみとの板挟みにあって苦悶し、自らの死を選んだのかもしれません。いや勝手な詮索はやめましょう、こんな素敵な詩を残してくれたことをせめて感謝したいと思います。

 本日の三枚、上から一枚目が旧宮崎商館、二枚目が旧電信電話庁舎です。
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by sabasaba13 | 2013-07-08 06:16 | 山陽 | Comments(0)
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