飯田線編(6):田本駅(12.4)

 次の秘境駅は田本駅(ランキング第4位)、個人的にはここが一番凄かったですね。急峻な崖を抉ってむりやり作ったような駅です。コンクリートで塗り固められた90度近い崖を見上げると、大きな岩がでっぱっていますが、これは撤去工事が危険なためそのまま残されたそうです。ホームの幅は約2mと狭く、ここで通過列車をやりすごせばかなりのスリルを味わえそう。なおこの駅から一番近い集落まで、歩いて二十分ほどかかるそうです。駅ができた当時は、住民の方々が列になって歩いたとのこと。今では自家用車が普及したためか、ほとんど利用する方はいないようです。ホームの端にある急階段をのぼりトンネルの上部に出ると、この駅の全貌を眺めることができました。
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 急斜面にへばりつくように設置されたホーム、チェーホフではありませんが、「神よ、何のために私を創ったのですか」とでも言いたげな風情でした。いや、そりゃあなた、三信鉄道が列車を停めるためですけどね。という減らず口をたたくためにインターネットで三信鉄道について調べてみると、たいへん興味深いことがわかりました。この飯田線を開通させ営業していたのはもともと三信鉄道という私鉄会社で、1943(昭和18)年に国鉄によって戦時買収されました。天竜峡以南の区間は地形が急峻にして地盤が非常に弱く、鉄道建設が極めて困難でしたが、三信鉄道は北海道の多くの鉄道で測量技師を勤めたアイヌの川村カ子トに測量を依頼。川村はアイヌ測量隊10人を率いて断崖絶壁での測量作業をやり遂げ、現場監督もつとめて難工事の末にこの路線を完成させました。アイヌに現場監督されることを嫌う日本人工夫たちの反発が強く、土木作業員に殺されかかったこともあったそうです。なお旭川には、彼が収集したアイヌの民具などを展示する「川村カ子トアイヌ記念館」があるそうです。これはぜひ訪れてみたいですね。さらにこの難工事(八年間で52人の労働者が死亡)をなしとげる中心となったのは、土建労働者として働いた多くの朝鮮人であることもわかりました。しかし労働条件は劣悪で、未払い賃金の即時支給や、一割賃上げなどを求めて、八年間に五回もの労働争議を起こしたそうです。なおプロレタリア文学を代表する作家・葉山嘉樹は、1939年1月から9月まで、この工事現場で帳付けとして働いており、その日記には、朝鮮人労働者に関する多くの記述があるとのこと。この件に関して興味のある方は、広瀬貞三氏の研究をご覧ください。葉山嘉樹はその後、開拓団として満州に渡って敗戦を迎え、引揚げの途中の列車内で脳溢血のため亡くなりました。合掌。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2013-08-07 07:36 | 中部 | Comments(0)
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