甲斐路編(3):甲府市朝日町(12.5)

 バスで甲府駅に戻り、さきほど購入したガイドブックを片手に朝日町界隈の散策と洒落込みましょう。まずはハナミズキが咲き誇る朝日通りへ、「?本製帽」という看板を掲げた帽子屋さんがありましたが、自家製のものなのでしょうか。経営が苦しそうな高砂湯を撮影し、路地にはいると今を生きる火の見櫓が毅然と屹立していました。
c0051620_6165198.jpg

 「御金蔵稲荷大明神」というパワースポット物件を横目に、珍しいフォルムの透かしブロックを撮影。
c0051620_6171247.jpg

 その先には、三味線の胴のかたちをした看板が目印の「山形屋琴三絃店」がありました。「竹川菓子店」では紅梅焼きという名物お菓子を売っているそうですが、本日は休業の模様。
c0051620_6173386.jpg

 そしてガイドブックで紹介されていたアバンギャルドなお店に着きました。軒からぶらさがる幾本もの薩摩芋、そしてところかわまずガラス戸にガムテープで張り付けられた段ボール箱の断片。そこには「焼き芋」「アソコで感じる 気持ち良さ」「生まれも育ちも貧乏人」「考えることができなくなったら…人間ではない」「命は鴻毛の軽きに比す」となにやら謎めいた言葉の数々が記されています。地元では有名な美味しい焼き芋屋さんだそうです。しかしこちらも休業、うーん食べてみたかったなあ。
c0051620_617562.jpg

 その近くにある清運寺には、坂本龍馬の許嫁(?)、千葉さな子のお墓があります。
c0051620_6181559.jpg

 そしていよいよ太宰治関連の物件をめぐりましょう。まずは彼が甲府で暮らすことになった経緯を紹介します。1937(昭和12)年、パビナール中毒で彼が入院している時に、妻の初代が浮気。ショックを受けた太宰は、初代と谷川岳山麓の水上温泉でカルモチン自殺を図ったが四回目の未遂となり、彼女とは離婚することになります。師である井伏鱒二は太宰のすさんだ生活を変えるために、自分が滞在していた富士のよく見える山梨県御坂峠の天下茶屋に招待しました。こうした気分転換が功を奏して徐々に太宰の精神は安定していき、1938(昭和13)年、井伏が紹介した高校教師・石原美知子と見合い、婚約。翌年、彼女の出身地であるここ甲府市御崎町の新居に移りました。八ヵ月ほど新婚生活を送った後、東京・三鷹に転居。1945(昭和20)年4月に再び甲府にある妻の実家に疎開しますが、爆撃のため全焼。妻子を連れかろうじて津軽の生家へたどりつき、翌年の11月に三鷹の自宅に戻ります。この時期は中期の安定期と言われ、『駆込み訴へ』(1940)、『新ハムレット』(1941)、『富岳百景』(1943)、『津軽』(1944)、『新釈諸国噺』『お伽草紙』(ともに1945)といった傑作群が生み出されました。

 本日の二枚です。
c0051620_619343.jpg

c0051620_6195462.jpg

by sabasaba13 | 2013-09-02 06:20 | 中部 | Comments(0)
<< 甲斐路編(4):甲府市朝日町(... 甲斐路編(2):山梨県立美術館... >>