まずは山の手通りに面する窪田酒店は彼がよく酒を買ったお店ですが、残念ながら廃業していました。妻・美知子の回想によると、酒屋への支払いは月に20円ほど、当時の平均的な月給は40~50円だそうですから相当な飲兵衛ですね。湯豆腐を肴に飲みたいだけ飲んで、陽気に騒いで、倒れて寝てしまうというのですから彼女の苦労が偲ばれます。その先の路地にある喜久の湯は太宰治が通った銭湯で、いまだ現役ばりばりで営業されています。彼は毎日午後三時ぐらいまで机に向かって執筆し、こちらで一風呂あびて家に戻って夕食、そして飲んだくれていたそうです。
ここから歩いてすぐのところに太宰夫婦が新婚生活を送った借家がありましたが、今では記念碑を残すのみ。はす向かいには彼がよく立ち寄った豆腐屋があったそうです。美知子さんは、彼に不可欠な酒屋と煙草屋と豆腐屋が近くに揃っていてお誂え向きだと実家の人にひやかされたとのこと。小説を執筆した後、一風呂浴び、煙草と豆腐を調達して家路に向かう彼の暮らしが偲ばれます。なお太宰曰く「豆腐は酒の毒を消し、味噌汁は煙草の毒を消す」と言って豆腐を何丁も食したそうですが、歯が悪かったことと値段が安いことが本当の理由のようです。その近くにある御崎神社の広い境内がありますが、執筆の合間にこのあたりを散策したのかもしれません。
それでは駅前にある宿へと参りましょう。途中で珍しい意匠の
透かしブロックと
グリーン・モンスターを発見。
本日の一枚です。