甲斐路編(9):浅川家墓所(12.5)

 なお近くに兄弟生誕の地跡と記念碑、浅川家の墓所、祖父・四友の句碑があるとのこと、学芸員の方に訊ねてみるとコピーした詳細な地図をくれました。これは有難い、感謝します。史料館から退出し地図を片手に数分歩くと生家跡に着きましたが、草生す空き地となっており往時を偲ぶ縁もありません。その近くの農村公園には「史跡 浅川伯教・巧兄弟生誕の地」という碑がありました。
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 そして祥雲寺にある浅川家の墓所へ。普通の墓石ですが、上部に刻まれた十字架が印象的です。合掌。墓誌には「文徳院天巧道智居士 俗名 巧」と記されていましたが、兄・伯教のお墓は別のところにあるのでしょうか。なお案内表示には日本語とハングルで併記されていましたが、朝鮮から墓参に来る方もいるのかもしれません。
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 そして熱田神社の境内にある祖父・四友の、「不断聞くこえははなれて初烏」という句碑を拝見。
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 『国を越えた日本人』によると、浅川兄弟はこの祖父の感化を強く受けたようですね。伯教は祖父をこう追憶しています。
 理屈を抜きにして泣き事を言わず、楽に働いて環境に興味を感じ、その内に人のなさけや詩を見出し、所謂俳人かと云うとそうでも無く、百姓かと云うとそうでもない。学者でもなく、仕事の中に俳句を見出し、俳句に仕事を見出し、村に事件が起ると、頼まれて行っては何とか片つけて来る、結婚の事から、夫婦喧嘩の仲裁、若い男女のかけおちの後しまつ迄持って来る。仕事に貴賎のあることを知らず、何でも働いて暇があれば読書する。褥について眠る迄は其日の出来事を俳句にまとめる。連歌を詩の対話と心得、心得のある人に遇えば直ぐ始める。祖父は結局自然に対してのブルジュアーであった。(p.168)
 「自然に対してのブルジュアー」、いい言葉です。自然と人間をこよなく愛し、働くように遊び、遊ぶように働いた方だったのですね。「趣味と仕事は知的レベルが等しくなる」というスーザン・ジョージの言葉が脳裡をよぎります。その人間としての懐の大きさが、浅川巧という稀代の人物を育てたのでしょう。今でも彼は草葉の陰で、統一された朝鮮と日本の両国民が、お互いに理解し、尊敬し合って、本当に仲の良い隣国として平和に幸福に暮らしていくことを切に望んでいることと思います。しかし残念ながら、竹島問題や従軍慰安婦問題などで、ぎくしゃくしているのが現今の日韓関係です。過去に目を塞ぎ、歪で偏狭なナショナリズムに染まった方々が跋扈し、その代表格ともいうべき安倍晋三伍長を首相に選んでしまうような日本側に大きな責任があると愚考します。従軍慰安婦に関して「人さらい」のような「狭義の強制性」はなかったとくりかえし公言し、アメリカの議会や世論から批判されると、あわてて訪米して(肝心の犠牲者本人や韓国に対してではなく)ブッシュ大統領に謝罪した御仁を、です。その後反省した様子もなく、再び首相となった後も、同趣旨の発言をくりかえしていますね。(2013.2.7衆院予算委員会) やれやれ、浅川巧との品格の差には、愕然としてしまいます。ま、浅川四友と岸信介、両者の祖父の違いを思えば、さもありなんという気もしますが。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2013-09-08 06:20 | 中部 | Comments(0)
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