甲斐路編(10):中村キース・ヘリング美術館(12.5)

 さてそれでは長坂駅へと戻りましょう。県道32号線に出てしばしタクシーを待ちましたが、やってくる気配がありません。せんかたなし、歩いていくことにしました。中央道の下をくぐり、車の行き交う道路に沿った味気ない歩道を四十分ほど歩くと、長坂の町に到着です。大正末期から昭和初期にかけて繭の取引で殷賑を極めたそうですが、今ではその面影もありません。これから小淵沢へと移動しますが、駅の時刻表で確認したところ、列車が来るまでまだ三十分ほどあります。ちょうど駅の隣に「四代目 丸政」というラーメン屋さんがあったのでこちらで昼食をとることにしました。こってりと濃厚なお味のチャーシューメンに舌鼓を打っていると、調理をしている店員さんの黄色いTシャツの背中に「鶏ガラ 豚ガラ 人柄」という文字が躍っていました。その意気やよし。
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 そして中央本線に乗って七分ほどで小淵沢駅に到着、駅前から八ヶ岳高原バスに揺られること約十五分でバス停「中村キース・ヘリング美術館」に着きました。ここから林の中を抜ける爽快な遊歩道をすこし下ると、木々の間から中村キース・ヘリング美術館が垣間見えてきました。
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 それでは美術館のホームページから、キース・ヘリングについての紹介文を引用しましょう。
キース・ヘリング Keith Haring  (米国ペンシルヴァニア州出身 1958―1990)
キース・ヘリングは、アンディー・ウォーホルやバスキアなどと同様に、1980年代のアメリカ美術を代表するアーティストです。80年代初頭にニューヨークの地下鉄で、黒い紙が貼られた使用されていない広告板を使った通称サブウェイドローイングというグラフィティー・アートを始めました。そのコミカルで誰もが楽しめる落書きは、地下鉄の通勤客の間で評判となり、一躍キースの名を広めることになりました。1980年から86年の間には、次々と展覧会が開催され、国際的にも高く評価されました。ニューヨークのタイムズ・スクエアのビルボードのアニメーションから、舞台デザイン、キースのグッズを販売するポップ・ショップをオープンするなど、制作活動は多岐に及びます。また世界中で壁画を制作したり、ワークショップなども開催し、社会的なプロジェクトも数多く手がけました。日本でも展覧会やワークショップの開催や、ポップショップも展開されました。1988年にはHIV感染と診断され、その翌年に財団を設立しました。1990年31歳で亡くなるまで、アート活動を通してHIV/AIDS予防啓発運動にも最後まで積極的に関わりました。
 本美術館は、米国出張中に、NYのギャラリーで彼の作品「ピープルズラダー」と出会い、そのヒューマニティーとエネルギーに惹かれた中村和男氏が蒐集したコレクションを展示しています。それではさっそく入館しましょう。入口にある館名の表示からもうbow-wowとキース・へリングしています、こりゃ楽しみだ。壁に挟まれた狭い狭いスロープを行き、キースが意匠した赤ん坊のネオンの下を右へ曲がると、展示室「闇」です。インフレと失業に喘ぐ1980年代アメリカ社会の闇に立ち向かい、そこから希望を紡ぎ出そうとした彼の画業を部屋の構成で表現したとのことです。闇の中に浮かび上がる作品群は、戦争の弾劾などシリアスなもの。そして大きな作品を中心とした展示室「ジャイアントフレーム」を拝見し、展示室「希望」へ。そこはスピード感と躍動する線とカラフルな色彩にあふれたキース・へリングの宇宙、もう身も心も軽いステップでフォックストロットを舞いだしそう。アルミニウム板を塗装した巨大なフィギュアもいいですね。そして屋上庭園、スカイコートへ。高原の森を一望できる気持のいい場所でした。なおこちらにも赤いフィギュアがあったので写真撮影。
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 館内へと戻り、洒落たトイレ表示を撮影、ミュージアム・ショップでTシャツとマグネットを購入しました。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-09-09 06:20 | 中部 | Comments(2)
Commented by www at 2013-09-24 02:11 x
東京在住ということと東京と関東(神奈川)と分けているということは、あなたは田舎者ですね!
Commented by sabasaba13 at 2013-09-25 23:51
 こんばんは、wwwさん。文意がよくわかりませんので、返答の仕様がありません。あしからず。
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