富士五湖編(10):河口湖駅(12.5)

 この頃になると青空がひろがり、駅の向こうには富士の秀麗な姿がくっきりと見えます。ん? 駅の三角破風の角度が富士の稜線と瓜二つ。念の為両者を重ねて撮影すると、どんぴしゃ。なるほどこれを計算に入れた設計なのですね。
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 駅の隣にある観光案内所に入って、富士が映る田んぼのことを訊ねると、心当たりはないとのお答え。残念ですが、訪問は断念せざるを得ません。とりあえず、忍野八海や富士吉田の観光資料をいただきました。さてこれから御坂峠にある天下茶屋へと向かいます。そう、富士見の名所、そして太宰治が逗留した茶屋です。ただそこへと向かうバスは、一日に一本(平日)か三本(土日祝)のみ。帰りのバスも同様なので、公共輸送機関を利用するためには、土日祝日に、河口湖発9:40→10:08天下茶屋11:03→11:30というバスを利用するしかありません。というわけで河口湖駅9:40発のバスに乗りましょう。乗り場には、和気藹藹と語らう山にいちゃん・ねえちゃんたちがいました。そして出発、昨日とはうってかわって河口湖越しにきれいな富士が見えてきます。今だったら天上山からの眺望も最高でしょうね。
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 やがてバスはうんとこどっこいしょと山中の道をのぼっていきます。若者グループが途中下車したのですが、御坂峠付近でハイキングをするのでしょう。二十分ほど走ると、富士の姿が見えてきました。太宰治が『富嶽百景』で描いた有名な場面は、このあたりかもしれません。
 河口局から郵便物を受け取り、またバスにゆられて峠の茶屋に引返す途中、私のすぐとなりに、濃い茶色の被布ひふを着た青白い端正の顔の、六十歳くらゐ、私の母とよく似た老婆がしやんと坐つてゐて、女車掌が、思ひ出したやうに、みなさん、けふは富士がよく見えますね、と説明ともつかず、また自分ひとりの咏嘆ともつかぬ言葉を、突然言ひ出して、リュックサックしよつた若いサラリイマンや、大きい日本髪ゆつて、口もとを大事にハンケチでおほひかくし、絹物まとつた芸者風の女など、からだをねぢ曲げ、一せいに車窓から首を出して、いまさらのごとく、その変哲もない三角の山を眺めては、やあ、とか、まあ、とか間抜けた嘆声を発して、車内はひとしきり、ざわめいた。けれども、私のとなりの御隠居は、胸に深い憂悶でもあるのか、他の遊覧客とちがつて、富士には一瞥も与へず、かへつて富士と反対側の、山路に沿つた断崖をじつと見つめて、私にはその様が、からだがしびれるほど快く感ぜられ、私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見度くもないといふ、高尚な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思つて、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴の素振りを見せてあげたく、老婆に甘えかかるやうに、そつとすり寄つて、老婆とおなじ姿勢で、ぼんやり崖の方を、眺めてやつた。
 老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあつたのだらう、ぼんやりひとこと、
「おや、月見草。」
 さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた。
 三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-09-29 08:42 | 中部 | Comments(0)
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