『未来のための江戸学』

 『未来のための江戸学 この国のカタチをどう作るのか』(田中優子 小学館新書101)読了。不安定な世界と不透明な未来、私たちを囲繞する不安と苛立ち、そこにつけこみ支持を得ようとするポピュリスト政治家の跋扈。こんな時だからこそ歴史を振り返り、なぜこうなってしまったのか、これからどうすればよいのか、冷静に考えたいものです。本書は、先入観にまみれた江戸時代を見直し、その価値観について考察するとともに、その価値観を否定して欧米から学び取った新たな価値観=近代が今の日本を形作った経緯について論及したものです。
 著者は1540年から1640年までの100年、戦国時代から江戸時代初期の日本は、銀によってアジアの物資を買いあさり、世界最大量の鉄砲を製造し、輸入した硝石で火薬を大量に作り、それらを国内戦争と外国侵略に投入し、大量の伐採をして城下町建設を行ない、運河を重要に開削し、埋め立てし、大規模に新田を開発した、軍事と経済成長を最優先したイケイケ国家であったと指摘されています。しかしこのままでは日本は破滅すると危惧した為政者たちは1640年ごろを契機に、この国はまったくちがったカタチへと劇的に変えました。技術力によってアジア依存型経済から自立し、国内市場を活性化し、侵略や植民地化という事態をかぶることのない、世界の中で立ちゆく力をつけること。それにともない、外交政策も再構築されていきます。オランダ東インド会社との、出島というセキュリティ対策も含めた正式な関係、秀吉が侵略した朝鮮半島との、関係回復と正式な外交の発足、琉球王国との決して平等とはいえない新たな関係、そして、そのころ明の厦門沿岸防衛総督を務めていた鄭芝龍との強い結びつきによる台湾との貿易拡大。著者が言われるように、ここには「国を鎖す」意志を感じることはできません。ヨーロッパ勢力への警戒とアジア諸国との友好を軸に、新たな外交を築いたのですね。琉球とアイヌに対する支配と搾取については、留保が必要ですが。そしてこの大転換とともに、"時代の思想"が育まれます。以下、引用しましょう。
 熊沢蕃山の考え方はいわば、財の量的拡大をめざさないこと、つまり高度成長でも拡大成長でもない思想である。これは江戸時代そのものの、時代の思想ともいうべきものだった。江戸時代の森林伐採の禁止は、環境保全と経済成長を両立させようなどというむしのいい発想ではなく、「すたり」(無用の費え、無駄)をなくすことによって、健全なサイクルを作り、誰もが貧困状態にならないよう世の中を経営する(富有大業)、という考え方だった。ここには、資源(財)は有限である、という認識と、すべての人が救われなければ意味がない、という「仁政」の考え方が通っている。(p.63)
 その結果としての当時の日本人の陽気さ、満足感、幸福感、そして、自己顕示欲や競争心がなく欲しいものもなければ余分なものもない簡素な生活については、江戸時代から明治初期に来日した外国人のさまざまな証言があることは、渡辺京二氏が『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)の中で多数紹介されています。
 しかしアメリカの軍事力によって強要された開国、そして明治維新以来、私たちが"江戸の思想"と引き換えに、勝ち負けを争う自由競争と暴力を取り入れることになります。戦前においては力に屈服しないために力をつけようとする"暴力の連鎖"を、戦後においては貪欲と浪費を公然と肯定する"経済成長"を、近現代の日本は追い求めてきた/いるわけですね。
 以上、拙い要約ですが、本書の魅力の一端でもお伝えできれば幸甚です。世界史を視野に入れた鋭い論考も多々あり、それらもたいへん勉強になりました。例えば、江戸幕府と交易していたオランダ東インド会社は軍隊を持った会社で、すきあらばアジアを植民地にしようと、常に狙っていたという指摘。実際、同社はバタヴィア、スリランカ、ジャワ東岸、インドのマラバール等々に17カ所の拠点を持ち、そこをほぼ占領していました。しかし江戸幕府と長崎会所は、そのもくろみを出島という作戦で封じ込めたため、25000人にのぼる従業員のうち、長崎に駐留した者はわずか11人でしかありませんでした。こうした緊張関係を知らずに、「日本とオランダは仲良しだった」などという牧歌的な物言いは控えるべきですね。

 さて、安倍伍長を筆頭に、財界・政界・官界・メディアがあいもかわらず「経済成長」を大合唱している現今の日本。"大規模にものを作り続けることや、おおぜいが観光地に押しかけることや、大量の車が高速道路を行き交うことや、電気製品を買い換えることや、安物を手に入れ続ける"ことで経済は回復し成長するという迷夢からまだ脱していないようです。大企業がもっともっと稼ぎ、そのおこぼれをわれわれ庶民にちょびっと下賜することでしかないのにね。こうして世界から富を搾取しつづければ、何が起こるのか、いいかげんに気づいてもよさそうなものです。そうではなくて「世界とは均等な配分と魂の安定をともにめざす場である」という価値観をもった文明もかつて多々あったこと、江戸時代もその一つであったことを知ることは迷夢から目覚めるための手助けになると確信します。
by sabasaba13 | 2013-10-18 06:16 | | Comments(0)
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