イタリア編(6):ミラノ・スカラ座(12.8)

 バスから下りると、ガイドさんがスカラ座の脇にあるアパートメントを指差し、「ロッシーニが住んでいた部屋です」と教えてくれました。おおっ、スタンダールが「ナポレオンは死んだが、別の男が現れた」と絶賛したロッシーニ! そして音楽の殿堂、ミラノ・スカラ座へ。まずはロビーとホールの見学です。階段のところにはかつて公演された音楽会のポスターが所狭しと掲げられていました。おおっ、ブラームスの二重協奏曲を演奏したのは、わが敬愛するパブロ・カザルスではあーりませんか。感無量、もうこれだけでもイタリアに来た甲斐があるというものです。
c0051620_6153243.jpg

 そしてホールを一望できる小さなテラスへ、おおっ(しつこい)、世界中の音楽愛好家垂涎のホールを手に取るように一望できます。舞台、その両側を埋めつくすボックス席、平土間席(プラテア)、そして最上階には天井桟敷(ロッジョーネ)。スカラ座は一貫して、バルコニー席の階上に余り裕福でない人でも観劇できるような天井桟敷を設けているそうです。その意気や良し、ですね。
c0051620_6155283.jpg

 なお『物語イタリアの歴史』(藤沢道郎 中公新書)に次のような記述がありました。
 ミラノ・スカラ座。ジュゼッペ・ピエルマリーニの設計で1778年に竣工したこのオペラ劇場は、ミラノ市民の誇りであった。もっとも竣工当時は設備が悪く、照明は石油ランプ二本、その油煙が立ちこめるので屋根に穴を開けたから、冬は凍るような寒さになったらしいし、客も歌手もはなはだ行儀が悪くて、外国人を仰天させたらしい。ドブロスはここの聴衆を酔いどれの集まりと間違え、「市場だってこんなに騒がしくない、演奏中にお喋りするだけでは満足できぬと見えて、大声で叫んだり歌手を野次ったりする」と書いている。現在の日本の大学の講義室のような状態だったのだろう。ヴェルディの頃には内装もよくなり、お客の行儀も改善されていたようだ。現在は絢爛豪華な設備や装飾が完備し、竣工当時の面影はないが、オペラのメッカとして世界中の歌手が技を競う場であることに変わりはない。(p.324)
 それはそれで面白そうですけれどね。豪華なロビーには、アルトゥーロ・トスカニーニの胸像がありました。
c0051620_6161363.jpg

 そしてスカラ座博物館へ、残念ながら写真撮影禁止ですが、ヴェルディ、プッチーニ、トスカニーニなど作曲家や有名なオペラ歌手のメモリアル、ポスター、衣裳、ステージデザイン、肖像などを見ることができました。トスカニーニの指揮棒には瞠目、この細く華奢な棒があのクリスプでタイトな演奏を紡ぎだしたのか。この一文を書きながら、NBC交響楽団をトスカニーニ指揮したベートーヴェンの交響曲第1番のCDを聴いています。なおお土産売り場もありましたが、時間の関係上あまりじっくりと見ることができませんでした。トイレを拝借すると、ミラノ・ファッションに身を包んだ鯔背な男女のトイレ表示があったので、もちろん撮影。
c0051620_6163313.jpg


 本日の二枚です。
c0051620_6165467.jpg

c0051620_6171358.jpg

by sabasaba13 | 2013-11-11 06:17 | 海外 | Comments(0)
<< イタリア編(7):ガッレリア(... イタリア編(5):ミラノ(12.8) >>