イタリア編(8):ミラノ大聖堂(12.8)

 ガッレリアを抜けると、おおっ(またか)、眼前に聳えるのはミラノのシンボル、大聖堂(Duomo)です。イタリアで最大規模のゴシック教会堂、ナポレオン1世の命によって1805~09年に完成されるまで500年の歳月がかけられました。2245体の彫刻、天空を突き刺す135本の尖塔、その壮大なる偉容には言葉を失います。それにしても、ヨーロッパの町を訪れると、その規模の大小にかかわらず教会の立派さには驚かされますが、何故なのでしょう。『世界の歴史7 近代への序曲』(中公文庫)の中で、会田雄次氏が概略次のように述べられています。中世の都市法には、「他国のものが、自都市の市民と争ったとき、その他国人が親戚、縁者、たとい兄弟であっても市民はそれを助けてはならない。助けた者は追放刑に処する」という規定がたいていあるそうです。それほど、宗教、政治、経済、文化、すべての単位であった都市共同体の権威は、都市民にとって重いものでした。よってその象徴であった教会堂を荘厳なものとするために、人々はすべて捧げました。富めるものは金を、技術家は知恵を、職人はその腕を。でもその都市の象徴が市庁舎ではなく、何故教会なのか。これについては柄谷行人氏の考察が参考になります。[『世界史の構造』(岩波書店)] 東ローマ帝国(ビザンツ)に対して西ローマ帝国では、小国家(封建国家)が分立し、皇帝は名目的な存在でしかなく、そのためローマ教会がそれらに対して優越した存在でした。西ヨーロッパに「自由都市」が成立したのは、それらの三つ巴の競合のなかで、都市が教皇側につくことによってさまざまな特権を得たからだという指摘です(p.182)。ローマ・カトリックという大樹に保護されているのだぞ、という視覚的なアピールという意味合いがあったのかなと想像します。なお余談ですが、このミラノと強烈なライバル関係にあったフィレンツェが、この国際ゴシック様式の壮麗なる大聖堂に対抗して、反ミラノ・反ゴシックの大聖堂を建設したのですが、その話はまた後ほど。
 そしてしばし自由行動、内部を銘々で見学した後に正面扉の前で集合です。内部は堂々とした柱に支えられたアーチが幾重にも連なる重厚で荘厳なゴシック空間。美しいステンドグラスを通してそそぎこむ柔らかな光にも見惚れてしまいます。
イタリア編(8):ミラノ大聖堂(12.8)_c0051620_6224337.jpg

 なお有料ですが屋上に出ることもでき、ゴシック建築の隙間から市内を望めるそうですが、それほどの時間はありません。ツァーが終わった後に、個人的に訪れることにしましょう。中央の大扉に刻まれたレリーフは、ポリアーギ作『聖母マリアの生涯』。近づいてよく見ると、群像の鼻・膝・脹脛などが光っています。ふふふ、これについては五稜郭の武田斐三郎像で知ったのですが、良くしたい体の部分を触るというおまじないですね。私は頭と、右腕と(テニス用)、指と(チェロ用)、脚(スキー用)をなでなでとなでまわしました。山ノ神は…秘すれば花。
イタリア編(8):ミラノ大聖堂(12.8)_c0051620_6231052.jpg

 さてそうこうしているうちに全員集合、再びバスに乗ってスフォルツァ城へと向かいます。バスの車窓から町を眺めていると、"PIAZZA CAVOUR"がありました。カヴール広場、そう、ガリバルディ、マッツィーニと並ぶ「イタリア統一の三傑」の一人ですね。その先にはケバブ(KEBAP)屋がありましたが、イタリアでも食べられることがわかってこれは嬉しい。なにせわれわれ、安くて美味しくて野菜をたくさん食べられるこのケバブが大好きです。今回の旅行中もぜひ一度食したいものです。
イタリア編(8):ミラノ大聖堂(12.8)_c0051620_6233441.jpg


 本日の四枚です。
イタリア編(8):ミラノ大聖堂(12.8)_c0051620_6235419.jpg

イタリア編(8):ミラノ大聖堂(12.8)_c0051620_6241814.jpg

イタリア編(8):ミラノ大聖堂(12.8)_c0051620_6243716.jpg

イタリア編(8):ミラノ大聖堂(12.8)_c0051620_6245984.jpg

by sabasaba13 | 2013-11-13 06:25 | 海外 | Comments(0)
<< イタリア編(9):サンタ・マリ... イタリア編(7):ガッレリア(... >>