『国の死に方』

 『国の死に方』(片山杜秀 新潮新書500)読了。福島の方々を見殺しにし、社会的弱者を増加させ放置し、日米企業の利益を最優先し、沖縄の方々の苦しみを軽減せず、アメリカの走狗として戦争をしたがり、排外的ナショナリズムを煽ってガス抜きおよび自慰とする安倍伍長政権。そして政策の意図や社会の現状を知ってか知らずか、彼および自民党に投票した多くの人々。やれやれ、日本という国は「死に体」になりつつあるようです。第二次世界大戦の敗北による「国の死」を経験したはずなのに、また同じことを私たちは繰り返すのでしょうか。
 本書は、戦前において日本という国家がどのようにして自壊していったかを、斬新な視点と鋭利な分析で描いた好著です。例えば、日本の宿痾とも言うべきタテ割り行政とリーダー不在を、片山氏は次のように分析されています。その淵源は、近代日本のかたちを作り上げた維新官僚たちが、天皇の地位を安泰にするために考案した仕掛けにあったのですね。江戸幕府や足利尊氏のような政治的大物が現れて天皇に脅威を与えぬよう、最初からできるだけ権力機構を細分化しておく。内閣、議会、裁判所、陸軍、海軍を切り離し、ヨコのつながりを少なくし、それぞれの中身もさらに切り刻む。
 近代世界がアジアの新興国家に求める物事はあまりに煩雑で膨大だ。舵取りをひとつ誤れば亡国の運命が待つ。天皇が自分で物事を決めて間違えたらまずい。現人神が現人神でなくなる。なるべく「よきにはからえ」ということにする。「聖断」は例外である。どうしてもというときは和歌に託すくらいがいい。そんな現人神を仰ぎ見て、まとまりようのないくらいタテに幾つも割れた諸組織が、阿吽の呼吸で何とか協調し、天皇を輔弼し続ける。天皇は永遠に安泰。それが明治憲法体制の理想だった。(p.63)
 そしてこのヨコのつながりが制度的にわざと抑えられたタテ割り組織群を少しでも円滑に働かせるには、薩摩人や長州人のネットワークと、それを使いこなす薩長出身の元老たちが必要でした。しかし、この仕組みには大きな弊害がありました。組織が互に邪魔しあい、強力なリーダーも現れようがなかったため、非常時への対応、国家緊急事態への対処が困難になったことです。のんべんだらりと続く永遠の平時の中で天皇の権力が損なわれないようにすることばかりを考えていた国家。"明治憲法とは国家の自爆装置"という著者の指摘には思わず首肯してしまいました。
 また米騒動から二・二六事件への歴史の流れを、「農民の窮乏」という視点から読み解いた論考もお見事ですね。明治末期から大正初期にかけての人口増と米不足。それに追い打ちをかけるように第一次世界大戦が勃発しました。軍需品・民需品の注文が殺到して日本経済は大戦景気にわきたち、白米や酒の需要が急増。また工鉱業・船舶運輸業が殷賑をきわめ、労働者が大勢入り用となり、日本の都市部に急激に人が集まりました。ときあたかも西日本を中心に米よりも実入りのよい養蚕への転換が加速しつつありました。米不足と米価高騰に対して、不足分は外米や植民地米で補うしかありませんが、大戦はヨーロッパの農業生産量を減らし、世界的食糧不足が現出しています。海運業も引く手数多ですから運賃も急騰、朝鮮や台湾の植民地米は内地米や外米の供給減を補えるだけの量も品質も持っていません。そして1918年、いよいよ本当に引き金は引かれました。ロシア革命への干渉、寺内正毅内閣によるシベリア出兵です。大規模な軍隊を送る、兵糧が必要になる。商社や米問屋は投機的に買いつけに走り、鈴木商店などは植民地米を買い占め、かくして米価は暴騰しました。そして全国的な暴動、米騒動の勃発。今、『橋のない川』(住井すゑ 新潮社)を読んでいるので、餓死線上に追いこまれた庶民の窮状は痛いほどわかります。"国家はしばしば食べ物から崩れる"、著者の言です。
 未曾有の大暴動に、国家は恐怖しました。今後も、しかし米不足か米価の暴騰が繰り返されれば、国家が生き延びられる保証はありません。米騒動が農業政策を劇的に変えることになりました。ここに内地の農業に犠牲を強いても、植民地の農業の振興を優先する国策が遂行されることになります。1920年からの、いわゆる「朝鮮産米増殖十五か年計画」です。それを援護し、特に東北の農民を追い詰めていく契機を作ったのが、後にテロで倒される政党政治家たち、浜口雄幸や井上準之助でした。日本は、いよいよ重工業化を本格的に推し進める時期にさしかかっています。農業は外地(特に朝鮮)に分担させ移転してゆき、内地の農業労働力を工業に振り向けるべきときではないか。産業構造の転換期なのだ。その背中を押すのが政治家の仕事だろう。そういうヴィジョンが米騒動と三・一独立運動を機に、いよいよ試されることになったわけですね。しかし、1931年に東京と横浜で消費された米の四割弱が朝鮮米であるように、朝鮮米による内地米の圧迫はあまりに急激苛烈に進行しました。中でもこれまで首都圏に対する米の供給地であった東北地方が、国策による朝鮮米の積極流通策によって凄絶な打撃を蒙ることになります。1930年代に頻発したテロルやクーデターの背景には、東北地方農民の窮状があったことは言うまでもありません。
 そしてこの内地農村の瓦解が、労働力の大規模な配置転換を可能にし、世界大恐慌からの日本の景気回復にプラスに働いたと言われています。東北をはじめとする全国諸地域から農民が流出し、日本中の工場や鉱山が、日本語のよく分かり、勤勉で過酷な現場も厭わない低賃金労働者を無尽蔵に集められるようになりました。そのおかげで日本の鉱工業の現場は人件費を抑制し、経済効率も高められました。日本中の田舎から農民はどこかへと叩き出され、世界大恐慌以降に目指された新しいこの国のかたち作りに貢献させられたわけですそれでは、大恐慌後の理想の国のかたちとは? 以下、引用します。
 もはやグローバリズムの時代は終わった。世界大恐慌に巻き込まれて難破し沈没するのがオチである。かといって江戸時代には戻れない。鎖国では立ち行かない。近代国家の体裁を維持するには生存圏が必要だ。つまり自給自足圏だ。日本だけでは狭すぎる。資源もない。一国閉鎖の経済でもなく世界経済でもなく、これからはブロック経済だろう。はじめは日本本土と植民地の台湾や朝鮮、それに満洲国をセットにした「日満経済ブロック」の建設が叫ばれた。ブロック内で各々が相応しい仕事を分業する。朝鮮の農業をますます発展させ、日本本土の農業労働力は鉱工業に振り分ける。朝鮮も豊かになり日本も豊かになりブロック全体が豊かになる。米騒動や独立運動の再燃を恐れるなんて消極的な話ではない。共存共栄と効率的経済成長のための積極策だ。たらふく食うための「百年の計」だ。
 でも「日満経済ブロック」ではまだ狭い。資源も足りない。中国の版図も加え「日満支経済ブロック」になった。「東亜協同体論」の構想も出現した。しかし「日満支」の「東亜」ではたとえば石油が足りない。「東亜」は東南アジアも込みの「大東亜」に広がった。
 そうなるとよそのブロックと派手にぶつかる。大戦争になった。戦局は悪化した。戦争末期には海路が断たれた。植民地米が入ってこなくなった。おまけに内地の農村労働力は農業恐慌に兵隊の動員でもうガタガタの歯抜け状態だった。(p.184~6)
 『<新>植民地主義論 グローバル化時代の植民地主義を問う』(平凡社)の中で、西川長夫氏が、植民地主義とは"中核による周辺の搾取の一形態"(p.53)と言われていました。周辺(農村や植民地)を搾取しながら中核が富み栄えるという近代日本のかたちが明確に見えてきました。現代日本においても、福島や沖縄が「内国植民地」であると捉えれば、戦前との連続性も理解できます。

 他にも下記のような、日本の現状を分析する際に参考になるような指摘もありましたので紹介します。
 しかしここで言うファシズムとは、とにかく非合理なのにみんなが流されて誰にも止められないような政治形態のことである。そういうファシズムは確かに平時には成り立ちにくい。非常時の方がファシズム化しやすい。けれど非常時とは戦争に限らない。軍隊がでしゃばらなくてもよい。経済危機でも大災害でも電力不足でも、ヒトラーの掲げた「迫り来る共産主義の恐怖」でも何でもよい。そうした非常事態に対応するためと称して、社会の見通しを悪くし、人々から合理的な判断の基盤を失わせ、世の中が刹那的な気分で運ばれてゆくようになれば、それはもう立派なファシズムなのだ。(p.43~4)

 普通選挙をやればやるほど、大衆の人気を選挙のときだけでもとろうとすればするほど、この国の議会政治は壊れていった。政治的判断能力なき大衆が気分で投票しては、そのあとの展開があまりに選挙時の話と違うので当惑し、次の選挙で怒りをぶちまけようとする。しかし相変わらず判断能力は劣ったままなので、選挙を重ねれば重ねるほど、国のかたちが狂ってゆく。それが昭和初期だった。(p.143~4)
 うーむ、社会の見通しが悪く、人々が合理的判断ができなくなり、世の中が刹那的な気分で運ばれてゆく。そして政治的判断能力なき大衆が気分で投票して、国のかたちを狂わしていく… 嗚呼、今の日本そのものだ。
by sabasaba13 | 2013-11-21 06:16 | | Comments(0)
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