イタリア編(27):ピサ大聖堂(12.8)

 そして11世紀から14世紀にかけてつくられたピサ様式のロマネスク建築の傑作、大聖堂(ドゥオーモ)へ。まずは半円アーチと列柱がうめつくすファッチャータ(建物前面)を拝見、なるほどこりゃレース模様のような優美さです。中へ入ると、こちらもさまざまな大きさ・意匠の半円アーチと列柱がリズミカルに配置されています。説教壇の前に吊り下げられているランプは、ピサ大学で教鞭をとっていたガリレオ・ガリレイがその揺れにヒントを得て振り子の法則を発見したという伝説がありますがこれはガセネタのようですね。
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 さてこの大聖堂建設真っ最中の12世紀は、ヨーロッパが数百年の眠りから目覚めた時期だという藤沢道郎氏の指摘がありますので、ご紹介します。
 まず目立つのは、耕地が広くなったことだ。…鬱蒼とした森林であったり、泥濘の荒れ地だったりしたところが、イタリアでもフランスでもドイツでも、緑豊かな耕地となって、作物を実らせている。ポー川の流域は広々と麦畑が続き、運河も掘られて、貨物が運ばれている。至る所で開墾や干拓の事業が展開され、修道士がそれを指導する姿もしばしば見られる。
 火の消えたようだったイタリア諸市も今は活気づき、町の規模が拡大し、古い城壁を壊して市域を広げているところも多い。特に港町では、船の出入りも繁くなり、アジアやアフリカの珍しい物産も運ばれてきて、商人の動きが慌ただしい。武装した騎士たちとその従者が、鎧かぶとの金属音を響かせながら船出する。目指すは聖地エルサレム、敵はイスラム異教徒軍。こうした十字軍兵士の出陣は、もう珍しいことではなくなっている。ヨーロッパは数百年の眠りから覚めたのである。各地にロマネスク様式の大聖堂が次々に建立される。ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂はすでにその偉容を誇っているし、ピサでは1063年の対イスラム海戦の勝利を記念して、大聖堂、洗礼堂、鐘楼、共同墓地を擁する「奇蹟の広場」の造営が、地盤の弱さに苦しめられながらも、着々と進行している。『物語イタリアの歴史Ⅱ』(p.70~1)
 なおこの時期の重要な出来事として、十字軍のことを忘れてはいけません。そう、西ヨーロッパのカトリック諸国が、11世紀末から13世紀末までエルサレム奪還を名目として断続的に行なったイスラム世界への軍事遠征ですね。この侵略によって、それまで閉ざされた地方的一文化圏にすぎなかった西欧世界が、はじめて先進的なイスラム文明に接し、そこからギリシアやアラビアの進んだ学術・文化を取り入れ、自己の文明形態を一新したわけです。この「12世紀ルネサンス」が、後のイタリア・ルネサンスとして結実することになりました。もうひとつ忘れてはいけないのが、この十字軍を境に、ヨーロッパの「内なる敵」としてのユダヤ教徒が「外なる敵」のムスリムと内通する不倶戴天の敵として位置づけられ、ユダヤ教徒への差別が新たな段階に入ったことです。十字軍兵士たちが出兵に際してユダヤ教徒を血祭にあげたり、遠征先で無辜のユダヤ教徒を殺害したりした史実があります。こうしたヨーロッパの暗黒面についてもしっかりとおさえておきたいものです。なお、以上は『世界史の中のパレスチナ問題』(臼杵陽 講談社現代新書)のご教示によりました。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-12-11 06:19 | 海外 | Comments(0)
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