靖国神社編(2):(05.5)

 小鳥居を出て右手に行くと、遊就館があります。1882(明治15)年に創立された日本初の軍事博物館です。芥川龍之介が『侏儒の言葉』の中でこう言っていたのを思い出します。(「武器」より) 
 正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理窟をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。古来「正義の敵」と云う名は砲弾のように投げかわされた。しかし修辞につりこまれなければ、どちらがほんとうの「正義の敵」だか、滅多に判然したためしはない。…日本は二千年来、常に「正義の味方」である。正義はまだ日本の利害と一度も矛盾はしなかったらしい。
 …わたしは歴史を翻えす度に、遊就館を想うことを禁じ得ない。過去の廊下には薄暗い中にさまざまの正義が陳列してある。青竜刀に似ているのは儒教の教える正義であろう。騎士の槍に似ているのは基督教の教える正義であろう。此処に太い棍棒がある。これは社会主義者の正義であろう。彼処に房のついた長剣がある。あれは国家主義者の正義であろう。わたしはそう云う武器を見ながら、幾多の戦いを想像し、おのずから心悸の高まることがある、しかしまだ幸か不幸か、わたし自身その武器の一つを執りたいと思った記憶はない。
 龍之介の時代には(大正期?)、各国の武器も展示していたのですね。現在は武器博物館という色合いは消え、日本近代の戦争を紹介する展示が中心です。2002(平成14)年にリニューアルされてからは、初めて訪れました。玄関ホールには零戦、砲二門、泰緬鉄道で使用されていたC56型機関車が展示されています。入場すると、以前よりすっきりとした見やすい展示になっています。展示のコンセプトは「近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました。それらの戦いに尊い命を捧げられたのが英霊であり、その英霊を武勲、御遺徳を顕彰し、英霊が生まれた近代史の真実を明らかにするのが遊就館の使命」というものです(パンフレットより)。その言葉どおり、近代日本の戦争は全てやむをえず行ったものだ、つまり日本側に非や責任はない、という観点で見事なまでに一貫した展示です。大展示室には九七式中戦車、艦上爆撃機「彗星」、人間魚雷「回天」、ロケット特攻機「桜花」が展示されていました。その隣にある「靖國の神々」というコーナーでは、祀られている人々の顔写真や履歴が展示されていますが、「○山○男命」と必ず命(みこと)という称号が付けられています。ミュージアム・ショップをひやかしたところ、以前は販売していた教育勅語の朗読テープがなかったですね。
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by sabasaba13 | 2005-06-25 07:33 | 東京 | Comments(0)
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