今日も快晴。自転車を借りて、キコキコとこぐこと四十分。実際に使用されたねぶたが展示されている「ねぶたの里」へ。いやあああああ、やはり本物だけが持つ迫力ですね。豪放な造形と色彩の競演。BGMで流れている「ラッセラー」というハネトの掛け声にアドレナリンがびしびし分泌していくのがわかります。これは女房を質に入れてでも、
ねぶた祭りを見にこなきゃと思いました。「八甲田雪中行軍遭難資料館」に寄ったあと「青森県近代文学館」に行ったところ、残念ながら休館。しゃあない、「棟方志功記念館」に直行しようとペダルをこいでいたら、ゾゾゾゾゾと小生の霊界アンテナに妖気を感じました。こりゃおもろい看板があるなと周囲を見回すと「急(せ)ぐな 粟食な・横断は渡る橋の分れ道 荒川中校外委」という物件を発見。しばらく考えて「あわくうな=あわてるな」と合点がいき、またきょろきょろしていると「いい国造ろう鎌倉幕府 燃えよ荒中生 荒川中校外委」という物件をGET。いやはや一瞬呼吸が止まりましたね。なんなんだこれは。荒川中校外委という謎の組織について何か知っている方は、ぜひご教示ください。「死ね死ね団」と何か関係があるのでしょうか。???? 気をとりなおして「棟方志功記念館」へ。フォルムと色彩が乱舞する作品をじっくりと堪能いたしました。中でも「星座の花嫁」という版画に刻み込まれた「むなかたは 一すじみちを行く人 先を行く人じゃまです」という言葉にはまいりましたね。晩年、彼はほとんど視力を失い、写真のようにかじりついて版木を彫っていました。その様子を映像で見たことがありますが、己の命を刻み込むような凄まじいものです。縄文文化とねぶた祭りと棟方志功。「命の燃焼」という共通項でくくれそう。
東北本線で花巻へ。途中、車窓から「斗南藩観光村」という看板を見つけしばらく沈思黙考… ポンッ(手を打った音) 戊辰戦争で敗れた会津藩が、薩長新政府によって与えられた新領地でした。会津に対する報復は、陰惨・没義道なもので、戦死者の埋葬を許さず街中を死臭・腐敗臭まみれにしたそうです。おまけに28万石の会津領を没収され、与えられた新領地・斗南は実質七千石! その苦難は柴五郎の「ある明治人の記録」(中公文庫)を読んでください。ようやく最近、両者の間で和解が成立したのも頷けます。
再訪を期しましょう。
本日の一枚です。