立山・黒部編(9):上高地(12.9)

 それでは田代橋・穂高橋へと向かいましょう。自然研究路はやがて梓川に沿うようになり、川原に出ることもできます。川底が手に取るように見える透明度、手を浸すと切られるような冷たさ、そして川上を見やると、木立のはるか向うにV字型をした穂高をくっきりと望めました。せせらぎや葉ずれの音、微かに鼻孔をくすぐる木々の香、凛冽な雰囲気をしばし満喫。ドロミテのようなスケールの大きさこそありませんが、これはこれで素晴らしい自然美ですね。
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 そして田代橋・穂高橋を渡って対岸へ、橋の上からも穂高を遠望することができました。
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 河童橋へ向かう途中にあるのが「ウエストン碑」、後学のため碑文を引用しておきましょう。
 英人牧師ウォルター・ウエストンは、明治21年(1888年)から同28年(95年)までの日本滞在中に槍ヶ岳や穂高の山々を数多く歩き、我が国に近代的な登山意識をもたらし、日本山岳会結成のきっかけを作りました。
 また、その間の紀行文「日本アルプスの登山と探検(明治29年)」により、中部山岳を世界に紹介するなど、その業績は高く評価されています。
 ここにあるレリーフは、日本山岳会が昭和12年にウエストンの喜寿(77歳)を祝って作ったもので、昭和40年にかけなおされています。
 「日本アルプス」という呼称も彼がつけたのかと思い、調べてみたら違いました。ウィキペディアによると、飛騨山脈を調査したイギリス人鉱山技師のウィリアム・ゴーランドが、1881(明治14)年に刊行された『日本案内』の中で、そう呼んだのが嚆矢だそうです。また『逝きし世の面影』 (渡辺京二 平凡社ライブラリー)に、彼の言葉が記されていたので、紹介いたします。
 明日の日本が、外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本よりはるかに富んだ、おそらくある点ではよりよい国になるのは確かなことだろう。しかし、昨日の日本がそうであったように、昔のように素朴で絵のように美しい国になることはけっしてあるまい。(p.12)
 "素朴で絵のように美しい国"、前掲書を読めば、この表現が社交辞令でもエキゾチシズムでも過大評価でもないことがよくわかります。狡知に長けた醜い国に住んでいるわれわれからすれば、とても信じることのできない(江戸)文明が18から19世紀にかけて存在したのですね。ウェストンもそれを目撃し体験した証人であることを記憶にとどめましょう。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2014-04-07 06:28 | 中部 | Comments(0)
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