香嵐渓編(6):足助(12.11)

 ここから数分歩くと、足助です。入口にあった解説板から転記します。
 足助は、尾張・三河と信州を結ぶ伊那街道の道筋にあたり、古くから海と山を結ぶ物資運搬の要所として栄えました。重要な交易品の一つが塩です。三河湾等でとれた塩は、足助まで船と馬で運ばれ、ここで配合され、包み直されて、険しい山道を運ばれました。このような塩は、"足助塩"や"足助直し"などと呼ばれました。
 足助には、室町時代後期には町場が形成されていたと考えられています。江戸時代には宿場町としても栄えましたが、交易の発展に伴い次第に商家町としての性格を強めていきました。安永4年(1775)の大火で町並みの大半が焼失しましたが、その後すぐに町は再建され、現在でも江戸時代中期以来の重厚な町屋が多く残されています。
 複雑に折れ曲がる伊那街道沿いは、平入と妻入の町屋が混在し、生活感あふれる変化に富んだ景観を見ることができます。足助川沿いには、川岸に高く築いた石積みの上に、離れや土蔵が建ち並びます。
 昭和50年代より住民が主体的に保存に取り組んできた歴史的な町並みは、豊田市足助伝統的建造物群保存地区とされ、平成23年6月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
 まずは宿場の入口である西町へ、すぐ目についた常夜灯には寛政11年(1799)の銘があり、秋葉講の人々によって建立されたそうです。落ち着いた雰囲気の町並みを歩いていると、玉田屋旅館がありました。解説板によると、この西町には旅籠や旅館が七軒ありましたが、現在残っているのはここだけだそうです。かつては客引きの賑やかな声で活気にあふれていたのでしょうね。
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 その先にあった商工会は、1886(明治19)年に建てられた警察署を再利用したもの。巴川にかかる中橋を渡ると、いよいよ伊那街道と宿場の中心部です。まずはマンリン小路へ、黒板と白漆喰塗りの壁がいいコントラストになっている狭い路地です。風変わりな名称ですが、昔々ここで商いをしていた林さんの屋号が「万屋(萬屋)」だったので「万林」、はい山田君、座布団一枚。妻入の町屋が三軒並んでいるのもいい風情です。あるお宅には、「防火砂」という古い木札がかかっていました。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2014-04-21 06:32 | 中部 | Comments(0)
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