香嵐渓編(8):足助(12.11)

 氏曰く、この一揆は、豪商・豪農・村役人に対する打ちこわしと、領主層に対する闘争が結びついていたために、広汎な農民の団結と迅速な行動をよびおこしました。そのために領主側も各個防衛では対処できず、本来幕府によって禁じられていた諸藩の軍事協力を行わざるをえなくなります。幕藩体制そのものを揺るがした一揆なのですね。また、領主の側から恩恵としてあたえられるべき「仁政」を逆手にとり、果たすべき義務を果たさないのに対して、まちがいを正すという主張をともなっていた、つまり「世直し一揆」の嚆矢であったと津田秀夫氏は述べられています。(『日本の歴史22 天保改革』 小学館) なお寺津八幡宮の神官・渡辺政香(まさか)がこの一揆の経過と顛末を記録した「鴨の騒立」に、首謀者である辰蔵と取調べをする役人との面白いやりとりが記されているので紹介しましょう。
 …諸人難渋にて命に拘る趣、右に付世間世直の祭を致し、難渋を救合との事にて、石御堂で会合仕ツタ者。決て諸人に難渋をかくるとて企た義では御座りませぬ。(p.267)
 [多くの人々が困苦にあえぎ、命も危うい事態です。こんなことですので、世の中を変えようという祭を起こし、困苦をお互いに救い合おうと石御堂に集まり、決意した次第です。決して、多くの人に困難をかけようとして起こしたものではありません。]

 御大名ならば思召も御座る処、御旗本では、有を取立、無き者を倒ても御慈悲も御座らず。(p.267)
 [大きな大名ならば御配慮もありますでしょうが、ちっぽけな旗本では米が少しでもあれば取り立て、何にもない者からさえも取り立て、慈悲の心などありません。]

 余り人の喉首しめる者は、間には憂目に逢わねば、黄泉(よみじ)の障りになりまする。(p.267)
 [余り人を痛めていた者は、ときにはつらい目にあっておかないと冥途に行くときにえらいめにあうでしょう。]
 うわおっ。役人を前にしてのこの堂々たる意見陳述、胸がすくようです。民衆の安穏な日常生活を維持することが統治者・富裕者の責務と観念され、その責務の放棄・拒否は私欲優先の不徳なる行為として糾弾されるとともに、不正が放置された場合は民衆が直接に制裁を加える、いわゆる仁政観念あるいはモラル・エコノミーの発露でしょう。極めつけは次の一言。
 上がゆがむと下は猶ゆがみます。
 おじさんはまいった。そう、そうだよね。安倍伍長を筆頭に、現代日本を統制する政治家・官僚・財界諸氏に熨斗をつけて進呈したい言葉です。例えば「いじめ・体罰・登校拒否」といったゆがみも、文部科学省や各自治体の教育委員会のゆがみに起因するところ大ではないでしょうか。安易に彼らを信用せず、疑い、物申す気概を失わないようにしたいものです。辰蔵のように。
by sabasaba13 | 2014-04-23 06:25 | 中部 | Comments(0)
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