京都錦秋編(4):東京駅(12.12)

 新幹線乗り場の手前には、浜口雄幸首相が撃たれた現場を示すプレートと解説があります。
浜口首相遭難現場

昭和5年11月14日午前8時58分、内閣総理大臣浜口雄幸は、岡山県下の陸軍特別大演習参観のため、午前9時発の特急「つばめ」号の1等車に向ってプラットホームを歩いていた。このとき、一発の銃声がおこり浜口首相は腹部をおさえてうずくまった。かけつけた医師の手によって応急手当が加えられ、東京帝国大学医学部附属病院で手術を受け、一時は快方に向ったが翌昭和6年8月26日死去した。犯人は、立憲民政党の浜口内閣が、ロンドン条約批准問題などで軍部の圧力に抵抗したことに不満を抱き、犯行におよんだものといわれている。
 前述のように、犯人の佐郷屋留雄は殺人未遂罪により死刑判決を受け、1934年恩赦で無期懲役に減刑され、1940年に仮出所しました。浜口雄幸についても、協調外交と軍縮を推し進めた気骨のある政党人という山川出版社的イメージを持っていました。しかしそれが平板な理解であることを思い知らせてくれたのが、『国の死に方』(片山杜秀 新潮新書500)です。政府の心胆を寒からしめた米騒動(1918)の後、二度とこうした全国的暴動が起こらぬよう、どうやって米穀を確保するかが大きな課題となりました。もう一つの課題が朝鮮の反日運動を抑えること。そこで政府が目をつけたのが、朝鮮における米の増産です。政府が大規模に投資を行なって朝鮮米を増産し日本に移入すれば、二度と米騒動は起きない。また朝鮮農民の増収にもつながり、懐柔することができる。日本の農村は大きな打撃を受けるが、その労働力をいよいよ本格化してきた重化学工業にふりむければよい。農業は植民地に分担させ、内地では重化学工業を振興する、こうして産業構造の転換が完成する。というわけで、ここに内地の農業に犠牲を強いても、植民地の農業の振興を優先する国策が遂行されることになりました。1920年からの、いわゆる「朝鮮産米増殖十五か年計画」です。それを援護し、特に東北の農民を追い詰めていくひとつの契機を作ったのが、のちにテロで倒される政党政治家たち、浜口雄幸や井上準之助だったのですね。そういえば、金本位制への復帰(金輸出解禁)も円高ドル安の旧平価で行ない、意図的に円高不況をひきおこして不良企業をつぶし、経済のスリム化を推し進めたのもこの二人でした。経済成長のためには、民衆の一部が犠牲になるのはやむをえないとする考えが、近現代日本の官僚や政治家の言動を支える通奏低音であったようです。
 歴史学者のマルク・ブロックが『歴史のための弁明』の中でこう言ったそうです。
 ロベスピエールを称える人も、憎む人も後生だからお願いだ。ロベスピエールとは何者であったのか、それだけを言ってくれたまえ。
 好悪でも毀誉褒貶でもなく、ただその人物が何をしたのか、何者であったのかを冷徹に見つめること、銘肝しましょう。

 本日の一枚です。
c0051620_6294229.jpg

by sabasaba13 | 2014-05-06 06:30 | 京都 | Comments(0)
<< 京都錦秋編(5):京都(12.12) 京都錦秋編(3):東京駅(12... >>