京都錦秋編(7):同志社大学(12.12)

 飛び出し小僧を写真に撮り、丸太町通から御所東側の路地を行き新島襄旧宅の外観を撮影。
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 そして梨木神社に着きました。尊王攘夷派の公家、三条実万(さねつむ)と実美を祀った神社ですが、紅葉の穴場だそうです。なるほど、参道や本殿付近にきれいに色づいたカエデやイチョウが散見され、こちらも観光客の姿が見えないので、ゆったりと鑑賞することができました。
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 道をはさんだ向かいにあるのが廬山寺(ろざんじ)、紫式部の邸宅跡と言われます。こちらについての紅葉穴場情報はなかったのですが、ま、「犬も歩けば棒に当たる」、ためしに入ってみました。ここは紫式部の邸宅跡だそうで、源氏庭という白砂と苔のお庭には、それはそれは見事に色づいた一本のカエデがありました。なお、彼女はここで源氏物語を執筆したそうですが、あれ? 石山寺でもそんな話を聞きましたが… 執筆場所についてははっきりとはわかっていない、ということでしょうか。あるいは数カ所で書かれたのか。それはともかく、人口に膾炙するこの大作、汗顔の至りですが読んだことがありません。退職後の楽しみの一つにしておきましょう。
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 次に向かうは京都御所の北側にある同志社大学今出川キャンパス、赤レンガの古い学舎群を見学させていただきましょう。創立者の新島襄は、幕末の1864(元治元)年、激動する日本の将来を憂い、国禁を犯して脱国し、約10年間にわたってアメリカ、ヨーロッパで学び、キリスト教の洗礼を受けて帰国しました。そして、1875(明治8)年、この地に同志社大学の前身となる同志社英学校を設立。キリスト教プロテスタント系の会衆派教会(組合教会)の流れをくみますが、いわゆるミッションスクールとは性質が異なり、キリスト教伝道を主たる目的とはしません。キリスト教主義・自由主義・国際主義を通じて「一国の良心」たる人物を世に送り出すのが建学の精神だそうです。彼の言です。
 我が校の門をくぐりたるものは、政治家になるもよし、宗教家になるもよし、実業家になるもよし、教育家になるもよし、文学家になるもよし、且つ少々角あるも可、気骨あるも可。ただかの優柔不断にして安逸を貪り、苟も姑息の計を為すが如き軟骨漢には決してならぬこと、これ予の切に望み、ひとえに希うところである。
 まずは1887(明治20)年竣工の有終館、初代図書館として建てられた煉瓦造の建物です。屹立する塔屋が印象的なクラーク記念館は1893(明治26)年に竣工、B.W.クラーク夫妻が逝去されたご子息の記念として寄せた寄付によって建てられた神学館です。設計は、「官庁集中計画」のためにお雇い建築士として招聘されたドイツ人のR.ゼール。こうした重厚な意匠を、ドイツ・ネオ・ゴチックというそうです。その先にある礼拝堂はD.C.グリーンによる設計で、1886(明治19)年竣工。解説板によると、徳冨蘆花が同志社時代を題材にした小説『黒い眼と茶色の目』の中で「五色の光線」が降ると形容したステンドグラスがあるそうですが、残念ながら中には入れませんでした。そうか、蘆花は同志社英学校で学んだんだ。
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 本日の三枚は、梨木神社とクラーク記念館です。
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by sabasaba13 | 2014-05-09 06:28 | 京都 | Comments(0)
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