越後編(12):赤泊(13.3)

 佐渡味噌の生産地、大石で建ち並ぶ味噌倉庫や古い事務所を撮影。なおこちらには珍しい意匠の透かしブロックがありました。
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 そして帆船時代に栄えた港、赤泊に到着です。望楼のあるお宅やモダンな洋館などに、殷賑を極めた往時の様子がかろうじて窺われます。なお運転手さんのお薦めで、近くにある「北雪」という蔵元に連れていってもらい地酒を購入しました。
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 そして四十分ほど走って、小佐渡の最北端にある、越佐海峡を望む姫埼灯台へ。何とも愛くるしい白亜の灯台です。1895(明治28)年、佐渡の灯台第一号として点灯した、日本最古の鉄造りの灯台です。歴史的・文化的価値の高い灯台として、国際航路標識協会による「世界各国の歴史的に特に重要な灯台百選」にも選ばれているそうです。
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 なおこのあたりに「ロシア人の墓」があるという情報を入手しました。日露戦争(1904~5)における日本海海戦で、ロシア海軍兵士の遺体が、対馬海流に乗って佐渡各地に漂着したそうです。地元の人々は最初とまどいましたが、やがてそれを引き揚げ、浜の共同墓地のわきに埋葬したということです。ところがこれが見つからない。親切なタクシーの運転手さんが通りすがりの方に訊いてくれて、県道45号線沿いにある寿月館という旅館のすぐ近くにあることが判明。おっありました。共同墓地の中に、「ロシア人の墓」と刻まれたわりと新しい墓石がすぐ見つかりました。近年に作りなおしたのでしょうか、合掌。そういえば、隠岐でもロシア兵を埋葬した墓標がありましたっけ。敵味方を問わず、死者を悼むという慣習が日本各地にあったのでしょう。偏狭なナショナリズムがまだ浸透する前の時代ですね。
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 そして勝広寺の青山墓地にある北一輝のを掃苔。「先祖代々墓」とのみ刻まれた、質素なお墓でした。『北一輝』(渡辺京二 ちくま学芸文庫)によると、これは祖父六太郎の墓で、二・二六事件に連座して処刑された北の遺骨は分骨され、弟子の西田税(みつぎ)の骨とともにここに埋葬されたそうです。北一輝の名を刻んだ墓碑は、彼を国賊とする憲兵によって立てることを許されなかったとのこと。なお東京の目黒不動尊にも、分骨を埋葬した彼の墓があります。
 さて北一輝とは何者か。岩波日本史辞典から引用しましょう。
北一輝 1883.4.3‐1937.8.19 国家主義者。本名輝次郎。新潟県生れ。眼病で佐渡中学中退後、大アジア主義、社会主義、法華経信仰などにより独自の思想を形成。1906年に「国体論及び純正社会主義」を自費出版するが発禁となる。辛亥革命に際して中国に渡るが、しだいに日本国内の改造を優先するようになり、19年「国家改造案原理大綱」(23年「日本改造法案大綱」と改題し刊行)を執筆。クーデタによる天皇を奉じた国家改造や特権階級廃絶を主張するなど、青年将校運動に大きな影響を与えた。2・26事件に際しては直接関与はしなかったが、黒幕と考えられ、西田税とともに軍法会議で死刑判決を受け、刑死。
 まあ大学入試の解答だったら満点でしょうが、隔靴掻痒、肝心のポイントがぼやけている説明です。"天皇を奉じた国家改造"や"特権階級廃絶"によって北一輝が目指した日本とは何なのか、よく見えてきません。彼の思想家としての奥深さには尋常ならざるものがあるという予感はありますが、いかんせん小生の勉強不足、わが尊敬する在野の歴史家、渡辺京二氏の『北一輝』(ちくま学芸文庫)も一読したのですが、十全な理解に至ってはおりません。逃げ口上ですが、今後の宿題としたいと思います。彼の思想を理解するための端緒として、その一部を紹介しますと、北は西欧型の市民社会を不正で偏ったものと見ており、日本はそれを拒否して、社会的共同性の貫徹するコミューン社会へと発展すべきだと考えていたようです。その革命のための戦略を、当時の状況において実現可能性の高いものにまで彫塑したのが彼の凄さだと、渡辺氏は述べられています。以下、引用します。
 明治の社会主義者や昭和のマルクス主義者は、維新革命の意味を絶対王制の成立というふうに極限的に貶価し縮小させて、来るべき革命を、維新とは何の関係もない、国民のナショナルな情念を否定したところに成り立つ、反伝統的な革命として構想した。戦前社会においては、このような革命は、国民の情念の基本的な動向にさからうものであるゆえに、成功の可能性がなかった。北は逆に、維新革命の意味を極限的に膨張させ、それを未完のなお継続しつつある革命ととらえることによって、明治国民国家に吸収されつつある国民のナショナルな幻想を、そのまま第二革命のエネルギーとして動員する戦略をとった。この戦略の現実性の秘密は、それが支配権力に対する反逆を、明治国家の法的源泉である維新革命の立場から正統化しうる点にある。この正統化の逆説こそ、天才児北の魔術の一切であった。(p.189)
 いつの日にか、彼の畢生の大著『国体論及び純正社会主義』に挑戦してみたいものです。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2014-06-10 06:35 | 中部 | Comments(0)
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