越後編(15):本町通(13.3)

 石山味噌工場の味噌蔵は切妻造・桟瓦葺・黒漆喰塗の重厚な建築、1906(明治39)創業時の施設だと言われています。なおこの地域で味噌醤油造りが盛んなのは、北海道へ荷を送った後、帰りの積み荷が空だと勿体ないので、大豆を積んで北海道から戻ったことに始まるそうです。それにしても、こういう鉄人28号のような物件にいきなりでくわすとは、恐るべし新潟。このあたりで雁木が設置されたお宅をいくつか発見。公共のものではなく、個人所有の雁木のようです。
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 上大川通にある渡辺益二商店は1886(明治19)年の創業以来、納豆一筋に商いをされてきたお店、その志を物語るような凛とした佇まいが魅力的な町屋です。二階の格子窓がいいアクセントになっています。清広刃物製作所は、「各種刃物研ぎ修繕承ります」という看板を掲げた古い町屋で、花街料亭料理人のための高級包丁をつくっているそうです。脇の茂作(もさ)小路に入ると、煙出しが見えました。ガラス戸からのぞくと、中にはお仕事中のご主人とまどろむ猫。「みなとまち豪商の館めぐり」によると、このあたりには、かのこちゃん、はんちゃん、カズちゃん、くろいの、お母さん、和田さん、という猫が住まわれているそうです。猫を邪慳にしない町っていいですね、住んでいる方々の心のゆとりを感じます。
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 旧小澤家住宅は、江戸時代後期から新潟町で活躍していた商家・小澤家の店舗兼住宅。公開されていますが、時間の関係で省略しました。この上大川通や本町通には、古い町屋や不思議なお宅が数多くあり、徘徊していて飽きません。
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 なお、本文を執筆中に、六日の菖蒲、十日の菊、「新潟シティガイドがお勧めするみなとまち新潟・まちあるきのマップ」という面白いサイトを見つけました。古い町屋だけでなく、「押しチャリ社会実験」「戦中の防火用水」「もじゃもじゃの家」といった通好みの物件が紹介されています。それによると、このあたりに高橋留美子の生家跡があるそうです。ま、別にファンではないのでどうでもいいのですが。
 それでは古町へと参りましょう。歩道の半分を占める広い自転車レーンがあるのには新潟市の見識を感じます。イヴァン・イリイチ曰く、「社会主義への道は自転車社会を通る」「自転車は、環境を汚染せず化石燃料も燃やさない(総有効速度では)地上で最も高速で自律的な移動手段である」。交差点のあたりで、キリンのガードレール・アニマルを発見。
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 そして花街(かがい)・古町に到着。前述の「柳都新潟 古町花街たてものマップ」を参考にして、この町を紹介します。花街とは、お座敷で芸妓の舞などの芸を楽しめる店がある街のことです。明治以降、娼妓がいる遊郭とは分離され、「くるわ」「はなまち」などとも呼びます。花街には料亭(料理店)・茶屋(座敷を貸すが料理は作らない店)・置屋(芸妓が籍を置き居住する場所)という三つの業種があり、三業と呼ばれます。これらに加えて、料亭や茶屋への芸妓の派遣を取り仕切る検番(見番)があります。古町花街は、江戸時代から料亭が軒を連ねた花柳界で、堀と柳の風光と相俟って「柳都」と呼ばれました。第二次世界大戦による空襲を受けなかったこともあり、殷賑を極めた往時の風情を色濃く残しているのが、ここ古町です。おしまい。補足いたしますと、新潟が米軍による無差別爆撃を受けなかったのは、京都・広島・小倉とともに原子爆弾の投下予定地として選ばれていたためですね。その威力を検証するために新潟を無傷の状態にしておいたアメリカの冷酷なる合理性には…言葉もありません。

 本日の二枚、石山味噌工場と渡辺益二商店です。
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by sabasaba13 | 2014-06-13 06:36 | 中部 | Comments(0)
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