越後編(19):ドッペリ坂(13.3)

 すぐ近くにあるのが、旧金井写真館本店。いやはや、なんともド派手な建物です。東京ディズニーランドにあってもまったく違和感はなさそう。建築年はおそらく明治中期、設計は中島泉次郎。設計者の中島氏は、コンドルの教え子と共に大阪郵便局(現存せず)を設計し、後に文部省建築課時代に米沢高等工業学校本館を設計した人物だそうです。そういえば似ているような似ていないような。現在は金井文化財館ですが、中に入ることはできませんでした。一体どんな活動をしているのでしょうか、旧写真館として保存し内部を見せてくれた方が嬉しいのに。北方文化博物館新潟分館は、明治末期に北方文化博物館の六代目伊藤文吉氏が取得した建物で、この中の洋館に、歌人・美術史家・書家として名高い會津八一がその晩年を過ごしました。
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 現在は博物館として、八一の書や資料、良寛の書を展示しています。會津八一といえば、大学時代、『自註鹿鳴集』(新潮文庫)を片手に、大和路を貧乏旅行した思い出がよみがえります。"かすがの に おし てる つき の ほがらか に あき の ゆふべ と なり に ける かも" ♪わーかーかあったあの頃♪ですね。珍しい意匠の透かしブロックを撮影して新潟カトリック教会へ。空に聳える双塔が印象的な白亜の聖堂で竣工は1927(昭和2)年、設計は日本のカトリック教会施設の設計者として活躍したマックス・ヒンデルです。その近くにあるのが1921(大正10)年築の旧副知事公舎、市内で最も古い洋館付住宅です。なおここに戦後間もなく作家の野坂昭如が住んだとのこと。空襲で焼けた神戸を逃れ、その当時新潟県副知事であった父を頼って移り住み、旧制新潟高校に入学。後妻の母親は新橋の芸者だった人で、彼はその母に連れられて古町で芸者遊びを覚えました。彼の自伝小説『行き暮れて雪』にその模様が綴られているそうです。現在は「ネルソンの庭」というレストランとして、第二の人生を送っています。
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 そしてドッペリ坂へ。解説板によると、この坂の上にはかつて旧制新潟高等学校や学生寮「六花寮」があり、弊衣破帽の学生たちが花街・古町に通う近道としてこの坂を利用しました。あまりこの坂を行き来して遊びが過ぎると落第するぞという戒めのため、ドッペリ坂と名づけられたそうです。ドイツ語のドッペルン(doppeln)=二重にする=落第という洒落ですね。なお新たにつくられた階段は、及第点の60点に一つ足りない59段になっているとのこと。また坂の下には高台の砂丘から湧きだす地下水によってできた大小二つの池があり、異人池と呼ばれていたそうです。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2014-06-20 06:32 | 中部 | Comments(0)
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