越後編(28):清水園(13.3)

 その前にあるのが清水園(清水谷御殿)、新発田藩主の溝口家下屋敷で、元禄時代には遠州流の茶人で幕府庭方であった縣宗知が江戸から招かれ、庭園もつくられました。明治時代になると、越後屈指の大地主・伊藤家の所有に、戦後は北方文化博物館が管理するところとなりました。それに伴い庭師・田中泰阿弥氏が、清水谷御殿の全体を修復し、「清水園」として現在の姿となったそうです。それでは入園いたしましょう。萱葺の渋い総門をくぐると、かつて馬術や弓術の鍛錬が行なわれていた小砂利の道(百間馬場)がのびています。そのさきの中門は、江戸初期の茶匠、千宗旦の高弟・藤村庸軒が京の黒谷、淀看の席の入口に建てた門を新発田に運んだものとされています。
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 中門をぬけると、草書体の「水」の字をえがく大池泉を配した池泉廻遊式庭園が眼前にひろがります。解説によると、庭石を多くは使わない江戸初期の特長をもつ庭園だそうですが、なるほどあまり技巧くささを感じない、雄大な自然美を楽しめる庭園でした。それでも処々に配置された岩島・滝石組・石橋・飛石・石灯籠がいいアクセントになっているのはさすが。ちなみに素人にはわかりませんが、近江八景が取り入れてあるそうです。
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 庭を愛でながら池を廻遊、そして書院に上がりましたが、庭に面した開放的な縁側からの眺めも素晴らしい。書院が池に浮かんでいるような錯覚を覚えます。
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 するとボランティア・ガイドさんがやってきて、清水園についていろいろと教えてくれました。戊辰戦争の際、数千に及ぶ領民が藩主溝口直正に出兵を止めるよう訴願したので、彼はこの清水谷御殿に留まり、新発田は兵火を免れたこと。また書院は戊辰戦争における官軍の本部だったそうで、庄内藩の殿様が詫びに来たとのこと。また庭には八橋と見立てた石があり、「かきつばた」の歌を説明してくれました。"からころもきつつなれにし…"と言うと、「この歌を知っておられる方は年に一人ぐらいです」と褒められました。後はうろ覚えだったのに、もごもご。
 なお清水園ホームページによると、米国の日本庭園専門誌「Journal of Japanese Gardening」の「2005年日本庭園ランキング」の23位に選ばれたそうです。これは、米国在住のダグラス・ロス氏が日本庭園を世界中に紹介するために1998年に創刊した英語の隔月刊誌で、ただ「大きい」「有名」であるだけの庭園よりも、本当にゆったりとした美しい空間に人々の目を向けようと、日・米・豪の専門家たちが日本全国の日本庭園を調査し、庭そのものの質、建物との調和、利用者への対応などを総合的に判断し順位をつけたそうです。参考までに2014年のランキングを見てみると…残念、選外になってしまいました。がんばれ、清水園。後学のため、2014年のベストテンを紹介しましょう。
第1位 足立美術館 (島根 美術館)
第2位 桂離宮 (京都 国有財産)
第3位 湯村-常磐ホテル (山梨 旅館ホテル)
第4位 御所西 京都平安ホテル (京都 ホテル)
第5位 山本亭 (東京 旧個人邸)
第6位 養浩館庭園 (福井 旧藩主別邸)
第7位 無鄰菴 (京都 旧山県有朋邸)
第8位 佳水園皆美 (島根 旅館ホテル)
第9位 栗林公園 (高松 旧藩別邸)
第10位 庭園の宿 石亭 (広島 旅館)
 私が訪れた庭園は、足立美術館、桂離宮、京都平安ホテル、無鄰菴、栗林公園の五つですが、まあ妥当な選択だと思います。「なぜ光明院波心庭が入っていない! 責任者を出せ責任者を!」などと目くじらをたてず、これを話の種にしてあーでもないこーでもないと和気藹藹と言い合うのが、この手のランキングの楽しみ方だと思います。余談ですが、東京に住んでいながら第5位の山本亭は初耳でした。インターネットで調べたところ、葛飾区柴又にある故山本栄之助氏の和洋折衷住宅と和風庭園で、公開されていました。これはぜひ訪れてみましょう。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2014-06-29 08:09 | 中部 | Comments(0)
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