越後編(30):木崎村小作争議(13.3)

 新潟行きのバスに乗り込み、揺られること三十分ほどで「笠柳」停留所に到着です。日本の米どころ、広大な越後平野が眼前にひろがり、彼方には残雪を戴く峰々を遠望できました。なんとも胸のすくような光景ですが、ここを舞台にあの凄絶な小作争議がくりひろげられたのかと思うと背筋がしゃんとします。
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 それではスーパーニッポニカ(小学館)から、木崎村小作争議について引用しましょう。
 1922年(大正11)から30年(昭和5)にかけて新潟県北蒲原郡木崎村(現豊栄市)で起きた小作争議。22年に県の生産米検査規則が強化されたため、県下各地で小作人組合が結成された。木崎村でも横井、笠柳両大字に組合が誕生して小作料減額を要求、大部分の関係地主は承服したが、真島桂次郎は認めず23年5月に提訴した。
 同年11月には日本農民組合関東同盟木崎村農民組合連合会が成立し、継米・二重俵装撤廃などを求めてさらに真島らと対立したが、地主側が小作地内立入禁止の仮処分を強行したため、支部長が抗議自殺した。
 仮処分解除後、地主側は耕作禁止、土地返還、小作料請求訴訟を起こしたため3年間にわたる大争議に発展、26年4月地主側が勝訴した。小作人側は東京控訴院にこれの仮執行停止を申請したが、地主側が立入禁止の仮執行を強行したため、官憲と小作人側が衝突して全国の注目を集めた。小作人側は小学児童の同盟休校、組合婦人部行商隊の編成、無産農民学校や信用組合の設立、税金不納、官庁陳情など創意に満ちた多彩な活動を展開したが、しだいに抑え込まれ、30年7月控訴院で和解が成立し、小作人側の全面敗北に終わった。
 なお中村政則氏は、『労働者と農民』(日本の歴史29 小学館)の中で、この木崎争議と、香川県の伏石(高松)事件(1924)、群馬県の強戸争議(1921)を、日本の三大小作争議とされています(p.269)。同書で氏は、大正末期の農民運動では地主階級が守勢にまわる攻撃的な小作争議が基調をなしていたが、昭和恐慌(1930)以後は、小作料値上げ反対・土地取上げ反対を要求する防衛的なものが支配的となっていくと概括されています(p.269)。持参した地図を片手に県道46号線を歩いていると、「木崎村小作争議 無産農民学校跡」という小さな看板を見つけました。脇道にはいってしばらく進むと、無産農民学校についての解説板、そして「木崎村小作争議記念碑」と刻まれた石碑がありました。
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 この無産農民学校については、ウィキペディアから引用します。
 (※1926年)5月17日夜、組合幹部は争議のための行動計画を決めた。そこには、行商隊の結成、婦人部の設置と並んで、村立尋常小学校に通学する組合員の子弟が無期限で同盟休校することが掲げられた。直ちに結成された婦人部の行商隊は、真島の似顔絵をパンに焼き付けた「真島パン」や組合マッチなどを売り歩きながら、小作側の主張をアピールした。
 さらに組合は「児童同盟休校並びに新農民小学校建設に対する声明書」を発表し、村長や小学校の守旧的な姿勢を批判、村内各所に教場を開いて授業を開始した。また、木村毅・大宅壮一・富士辰馬らが課外授業を行った。6月15日には無産農民学校協会が発会し、賀川豊彦が会長となった。そして、遠藤新が設計したライト式の校舎の建築は急ピッチで進められ、7月25日に上棟、9月1日には開校式が行われた。
 しかし、公教育維持の立場から政府・県当局は強硬的な方針を崩さなかった。そのため、9月8日に和解が成立し、無産農民学校は解散、同盟休校は終結した。農民学校の校舎は補習教育機関としての新潟高等農民学校として存続したが、青年訓練所の開所や組合組織の分裂で経営難に陥り、1928年に閉校、1936年に解体された(その跡地には争議開始50周年の1972年に「木崎村小作争議記念碑」が建立されている)。
 『発掘 木崎争議』(山岸一章 新日本出版社)によると、小作農民たちが同盟休校を決意したきっかけは、地主側の総帥であり新潟県地主会会長でもある真島桂次郎が北蒲原郡教育会長に就任したことだったそうです(p.234)。この闘いは、教育をめぐる闘い、子どもたちを教育する権利は民衆にあるのか権力者にあるのかをめぐる闘いでもあったのですね。なお、私の大好きな建築家の遠藤新が、その校舎を設計したことを知って驚くやら嬉しいやら。同書によると、大宅壮一が依頼すると、遠藤新は無料で設計することを協力を快諾したそうです。(p.216) 彼の作品は、これまで旧甲子園ホテル山邑邸目白ヶ丘教会自由学園明日館豊年虫久保講堂と見てきましたが、シャープだけれどぬくもりのある建築には惚れ惚れします。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2014-07-02 16:54 | 中部 | Comments(0)
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