県道に戻りしばらく歩くと、木造校舎を再利用した横井の丘ふるさと資料館があります。入口には見学方法を記したプレートがあったので転記しておきます。「隣の木崎保育園の窓口に備え付けの観覧者名簿に記入の上鍵を借りて見学してください 開館日/月曜日~土曜日 開館時間/9時~16時30分 休館日 日曜 祝日 保育園の休館日 トイレはありません」
さっそくすぐ近くにあった保育園に行くと、"雪とけて村いっぱいの子どもかな"、元気な幼児諸君の歓声が教室から轟いていました。保育士の方に来館を告げノートに名前を記入して資料館の鍵を拝借。ずっと尿意を我慢していたので、トイレをお借りしたいと言うと、物騒なご時世故、外部の人には貸せないとのこと。むむむむむ、いたしかたありません。資料館に戻って鍵をあけ中に入ってもやはりトイレはありません。また外へ出て周囲を歩き回り、ま、そこはそれ、蛇の道は蛇といいますか捨てる神あれば拾う神ありといいますか、(中略) それではじっくりと見学することにいたしましょう。スペースは狭いながらも、事件の概要や経過についての解説、貴重な写真の数々、そして当時の資料など、充実した展示でした。小作側が相手を威嚇するために使ったと伝えられる旗の竿先、「日本農民組合 関東同盟 新潟県連合会」の旗(複製?)、中でも傑作だったのは強欲な地主・真島桂次郎の似顔絵を使った焼き印です。これを焼き付けたパンを売って、闘争資金の一助としたのですね。解説によると、これを行なったのは婦人部行商隊で、他にも「組合マッチ」「帆刈やき」「森田せんべい」などと名づけられた商品は大きな反響を呼び、売り上げを伸ばしたそうです。
また農民学校上棟式の写真や、その校舎をバックにした記念写真なども展示されていました。
個人的には、この小作争議の過程で、農民たちが子どもたちへの教育権を取り戻そうとしたことが一番印象に残ります。おそらく地域の自治を担う人間に、そして権力に騙されない人間になってほしいという強い思いがあったのでしょう。『発掘 木崎争議』(山岸一章 新日本出版社)で紹介されていましたが、農民小学校が閉鎖になった後で、三人の母親たちがこう言ったそうです。「私どもは読み書き、そろばんがちょっとできればいいんだ。もっと大事なことは、ごまかされない人間になることだ。その教育を無産農民学校は大いにやってくれた。だから、もっと続けたいものだ」(p.219) 権力者に騙されない力、その嘘を見抜く力、これこそが学力です。よって権力側がこうした動きを目の敵にするのは理の当然。今、沖縄の竹富島で起きている教科書問題も、そういうことではないかな。
厠上本として読んでいる『三十三年の夢』(宮崎滔天 岩波文庫)の中で、ある中国人青年がこう語っていました。
故に人の仕官を希うもの、みな良民を愚にしてその膏血を絞るを希わざるなし。(p.247)
膏血を絞るために良民を愚にする、言い得て妙ですね。安倍晋三伍長が行なおうとしている「教育委員会改悪」の狙いもそこにあるのでしょう。
本日の三枚です。