それでは長岡駅へと戻りますが、途中で何カ所かに寄り道をしてもらいました。まずは中島にある「西軍上陸の地」の碑です。周知…かどうかはわかりませんが、ここ長岡は北越戊辰戦争激戦の地でした。1868(慶応4)の5月19日早朝、戦機を失うことを恐れた西軍(薩長軍)は、洪水の信濃川を強行渡河して長岡城を攻撃する策を立て、ここ中島に上陸しました。長岡軍は必死に防戦しましたが総退却、ついに長岡城は落城します。今日はこのあと河井継之助記念館を訪れる予定ですので、この話はあらためて。
次は水道公園、旧中島浄水場跡地を利用して、水道配水塔やポンプ棟など歴史的建造物を保存しながら整備した公園です。1927(昭和2)年に完成した、きりっとしたソリッドな
配水塔はマニアとしては見逃せない逸品ですね。
そして長興寺へ行き、河井継之助、山本五十六、堀口大學の
墓を掃苔。
堀口大學といえば、『月下の一群』所収、ジャン・コクトーの「耳」を思い出します。"私の耳は 貝の殻 海の響を懐かしむ" なお彼の墓の脇には、解説と詩「新春 人間に」が掲示してありましたので転記しておきます。
堀口大學は、長岡が生んだ世界的詩人である。平和をこよなく愛したため戦時中は、余儀なく発表禁止同様の憂き目にあった。
堀口家は代々の長岡藩士であった。長岡中学、慶応義塾に学んだ。外交官の父九萬一に従い世界各国を回った。新詩社に入り、そして詩作を続け「月光とピエロ」「砂の枕」「人間の歌」などの詩集が刊行され、「月下の一群」などのフランス近代詩の紹介をした。
「新春 人間に」
分かち合え
譲り合え
そして武器を捨てよ
人間よ
君は原子炉に
太陽を飼いならした
君は見た 月の裏側
表側には降り立った
石までも持って帰った
君は科学の手で
神を殺すことが出来た
おかげで君が頼れるのは
君以外にはなくなった
君はいま立っている
二百万年の進化の先端
宇宙の断崖に
君はいま立っている
存亡の岐れ目に
原爆をふところに
滅亡の怖れにわななきながら
信じられない自分自身に
おそれわななきながら…
人間よ
分かち合え
譲り合え
そして武器を捨てよ
いまがその決意の時だ
本日の一枚です。