越後編(37):堀口大學の墓(13.3)

 なお彼の息女、堀口すみれ子氏による「父が愛した長岡」という講演の中で、この詩についてふれられています。
 父はあるとき私に「僕は生まれてくるのが早過ぎた、僕の詩は50年早い、50年経ったら理解されるよ、君はそれを見届けておくれね」と言ったことを思い出します。そして、最近そのことが本当に現実になったなと思うんです。「新春 人間に」という詩がありますが、この詩は産経新聞の昭和46年、1971年今からちょうど40年前ですね、福島第一原子力発電所が稼働した年です。その年の産経新聞の1月1日号の特別版用に書かれた詩です。高度経済成長のバブルに浮かれたおとそ気分の元旦に届けられる詩にしては、ずいぶん厳しい詩なんですけれど、書かずにはいられなかった詩だと思うんです。
 おとそ気分の1月1日元旦に届けられるにしては、厳しい詩だと思うんですが、書かずにいられない詩だったんだと思います。父にはこの詩のように、時代に迎合しない気骨のある詩がたくさんあるんです。この気骨こそが、ふるさと長岡がはぐくんだ、父の生きざま、魂だと思うんです。今日ここに伺う前に長興寺、お寺にお墓参りをしてまいりましたけれども、父の堀口家代々の墓のところに、堀口大學の墓という説明板を教育委員会が建ててくださってまして、そこに何か詩を選んでくださいって頼まれましたのが、今からそうですね25年くらい前でしょうか、その時に選ばせていただいたのがこの「新春 人間に」です。今始めて何かこの詩が、父を語ってるというか、父の気骨、父の魂を語る、新しく脚光を浴びている詩のような気がいたします。
 1971(昭和46)年といえば、国内では公害問題が顕在化し、若者の反乱(1968・69年)の余燼さめやらず、ヴェトナム戦争は泥沼の最中。詩人の魂は、原子爆弾や武器を生みだす科学技術が、人間を存亡の岐路に追いつめていることを鋭く感受したのだと思います。もしかすると40年後に起きることになる核(原子力)発電所の事故にまで予感していたのかもしれません。そして状況が好転する気配はなく、いや悪化すらしている現在。科学技術の暴走に加えて、環境の破壊と汚染、資源の枯渇、貧困の拡大、そして猖獗を極める暴力の連鎖。こうしたaporiaを解決するための言葉を、彼はたった三行で見事に言い当てました。"分かち合え 譲り合え そして武器を捨てよ" ガンディーの"すべての人の必要を満たすに足るものが世界には存在するが、誰もの貪欲を満たすに足るものは存在しない"という言葉とも響き合います。堀口大學、今、読み直されるべき稀有な詩人だと思います。

 本日の一枚、堀口大學の墓です。
c0051620_640796.jpg

by sabasaba13 | 2014-07-12 06:41 | 中部 | Comments(0)
<< 越後編(38):石川雲蝶(13.3) 越後編(36):水道公園(13.3) >>