越後編(41):長岡戦災資料館(13.3)

 まずは駅から歩いて数分、長岡戦災資料館に入館しました。はじめて知ったのですが、長岡もアメリカ軍による無差別爆撃で大きな被害を受けていたのですね。1945(昭和20)年8月1日、1時間40分に及ぶ空襲で、市街地の8割が焼け野原となり、1,484人の生命が失われました、というより殺されました。投下されたM69集束焼夷弾は925トン、163,000発余りの焼夷弾子弾が長岡を文字どおり灰燼としました。なお新潟県下で爆撃されたのは長岡だけだそうです。アメリカ軍は3月1日の東京大空襲以来、焼夷弾で日本の都市を無差別に爆撃する方法に転換し、人口の多い大都市からだんだん少ない地方都市へ攻撃の輪をひろげていきました。人口が一番多かった新潟市は原子爆弾の投下候補地であったため爆撃を免れ、県下で2番目に人口が多く、交通の要衝で、軍需工場がたくさんあった長岡が標的にされたわけです。炭化したそうめんや、空襲で時間が止まった懐中時計、長岡に投下された模擬原子爆弾、灯火管制の様子を再現した部屋、千人針の作り方などの展示を見学。あらためて無差別爆撃の残虐さを思い知りました。
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 それにしてもアメリカ軍はこれだけの非対称的な殺戮を行なったのか。『ドイツを焼いた戦略爆撃』(みすず書房)の著者であるイェリク・フリードリヒ曰く、"空爆の特徴とは、爆風の種を蒔いた者はその報いを受けず、爆風の報いを受けた者はその種を蒔かなかったということだ"。これについて、『朝鮮戦争論』(ブルース・カミングス 明石書店)の中に興味深い記述がありましたので、紹介します。ドイツへの戦略爆撃を監督したアーサー・ハリス英空軍爆撃兵団司令官と日本への戦略爆撃を監督したカール・スパーツ米陸軍航空隊指揮官は、独日において狙うべき標的を焼き尽くした後も、一般市民に深刻な被害を与えた爆撃を継続します。"都市が燃え上がったのは「かなり以前から、空爆はそれ自体が目的となっていたからだ。それ自体の勢いと目標をもち、戦略的、戦術的価値を欠き、結果としてもたらされる不必要な苦しみや破壊に無関心になっていた」のである"(p.177) なんともおぞましい話ですね、焼夷弾をただ豪雨の如くまきちらすことが目的だったわけだ。なおウィキペディアによると、アーサー・ハリスは、発生する火災現場に後から駆けつける消防夫をその時点で殺傷するために遅発性の信管をつけた11キロ爆弾を混ぜておく手法を試みたそうです。こうなると、一人でも多くのドイツ人・日本人に死と苦しみを与えることが目的だったのかなと思わざるをえません。無差別殺人をおこなった関係者各位に、カート・ヴォネガットの言葉を進呈しましょう。『追憶のハルマゲドン』(早川書房)からの引用です。
 生きながら火に焼かれたり、窒息したり、押しつぶされたりした人びと―老若男女の別なく、彼らはやみくもに殺された。わが国の掲げた戦争の大義がなんであれ、われわれも自己流のベルゼン収容所を作りだしたのだ。その方法は非個人的であっても、結果はおなじように残酷で無慈悲だった。残念ながら、それが吐き気のする事実だと思う。(p.59)

 ドレスデンの死は不必要であり、故意に仕組まれた残酷な悲劇だった。子供たちを殺すことは―"ドイツ野郎(ジェリー)"のガキどもであろうと、"ジャップ"のガキどもであろうと、将来のどんな敵国のガキどもであろうと―けっして正当化できない。(p.61)
 それにしても私に理解不能なのは、こうした残酷で無慈悲な殺戮に対し賠償はおろか謝罪もせず、朝鮮でもヴェトナムでも同様の行為をくりかえしたアメリカ合衆国の爪牙・走狗となって戦争をしたがっている方々の気持ちです。もしかしたら安倍伍長、あなた方は大日本帝国陸海軍軍人の死は悼むけれど、一般市民の死はどうでもいいと思っているのではありませんか?
by sabasaba13 | 2014-07-16 06:33 | 中部 | Comments(0)
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