越後編(52):良寛と夕日の丘公園(13.3)

 なお良寛的な生き方を現実のものとするために、さまざまな提言をされているセルジュ・ラトゥーシュの『経済成長なき社会発展は可能か?』(作品社)を読んでいますが、下記のような言葉がありました。
 使い捨てで役に立たない-もっと言えば有害な-製品を生産・消費することよりも社会関係が重視される社会、また、観照的な生活、そして利益を追求しないで遊び心に溢れるような活動が、その居場所を見出す社会… (p.108)
 経済成長を拒否し、欲望を抑え、清貧に甘んじながら、他者と生き物と自然との共生を楽しむ。夢物語のように聞こえるかもしれませんが、近代という「悪魔の挽き臼」に巻き込まれる以前には、世界中で普遍的な生き方だったように思えます。もしかすると、欲望を全面的に解放すると地獄が待っていることに人間の英知は気づいていたのかもしれません。江戸時代の人々がおおむねそうであったことは、『逝きし世の面影』(渡辺京二 平凡社ライブラリー)を読むとよくわかります。ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に挟まれたラダック地方の人々を描いた名著『懐かしい未来』(ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ 山と渓谷社)は、最近までそうした暮らしが営まれていたことを伝えてくれます。賢者や哲学者の警告をふりかえれば、枚挙に暇がありません。老子曰く、 "知足者富"。ヘンリー・デイヴィッド・ソロー曰く、"万一私の欲望が肥大化すれば、その欲望を満たすための労働は、単調で不愉快な骨折り仕事になってしまうであろう"。ガンディー曰く、"すべての人の必要を満たすに足るものが世界には存在するが、誰もの貪欲を満たすに足るものは存在しない"。私も、私なりに、「あればたしかに便利かもしれないけれど、とくになくてもいいもの」(村上春樹)を少しずつ拒否していく♪My revolution♪を遂行していくつもりです。

 本日の一枚、長岡駅にあった良寛像です。
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by sabasaba13 | 2014-08-03 07:23 | 中部 | Comments(0)
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