越後編(54):出雲崎(13.3)

 そして階段をおりると、妻入りの家々が軒を連ねる出雲崎に着きました。出雲崎観光協会のホームページから引用します。
 江戸時代、徳川幕府の直轄地(天領)であった出雲崎は佐渡金銀の荷揚げや北前船の寄港地で、北国街道の宿場町として栄えました。廻船問屋街、旅館街が立ち並び、それに伴い遊廓も発展していきました。様々な業種が集まり近隣の農家の二男、三男は「天秤棒1本持って出雲崎へ行け」といわれるほど働き口に不自由ないところでした。
 当時の人口はこの小高い丘と日本海に挟まれたわずかな平場に約2万人もいたと言われ、人口密度は越後一でした。よって、多くの人が居住できるように、また、当時は間口の広さに税金を掛けられていたことから二間や三間半といった間口が狭く奥行きの長い妻入り家屋が軒を連ね、約4㎞にも及ぶ妻入りの街並を形成しました。
 なるほど、それではしばし散策いたしましょう。マンホールの蓋は、油田の櫓と佐渡おけさ。路地に面したお宅を見ると、その奥行きの長さがよくわかります。
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 そして海を望める良寛堂へ。名主であった良寛の生家「橘屋」の屋敷跡だそうです。ここから西に向かって歩いていくと、なんとも珍しい意匠の透かしブロックを立て続けに発見。菊、富士、横にした「i」。ここは、透かしブロックのサンクチュアリかもしれません。全国4800人の透かしブロック・フリークよ、来たれ出雲崎へ。
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 妻入りの三角屋根が櫛比する通りを愛でながら、のんびりと西へと歩を進めます。古い家はそれほど多くはないのですが、妻入りという構造・意匠で揃えられているので統一感があり、視線の快楽を感じます。無理して古い町並みを再現して観光客を誘引しようという雰囲気もなく、今ここでの暮らしを大切にしようという志が伝わってきます。「ヘアーサロン のんき」という店名も、この町のうからうからとした雰囲気からきているのかもしれません。高層のビルやマンションがないのもいいですね、♪知らなかったよ、空がこんなに広いとは♪と口ずさみたくなりました。
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 途中にあったのが良寛剃髪の寺、光照寺。解説板によると、1775(安永4)年の18歳のとき、感ずるところがあって出家し、このお寺さんで四年間きびしい修行をしたそうです。そして22歳のときに、ここに滞在した国仙和尚に感銘し、随行して玉島に赴き20年間師事したのですね。また堀部安兵衛住居跡もありました。元禄年中(1690年代)、新発田藩士であった安兵衛は生家が没落して浪人となり、江戸へ出府の途中ここでしばらく手習師匠として暮らしていたそうです。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2014-08-05 07:16 | 中部 | Comments(0)
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