越後編(58):摂田屋(13.3)

 それでは摂田屋をもうすこし徘徊することにしましょう。なんとも渋い木造家屋は「味噌星六」、国産無農薬の大豆と米・自然塩を使った古式味噌づくりを手がけ、マンガ「美味しんぼ」でも紹介されたことがあるそうです。町並みを眺めながら歩いていると、雪おろしのため屋根にのぼる梯子や、道路中央に穿たれた融雪用水が出る穴を見かけます。あらためて厳しい冬の暮らしに想いを馳せてしまいました。鈴木牧之の『北越雪譜』を読んでおくのだったなあ、今更思っても後の祭り、後悔先に立たず。
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 「星野本店」は醤油・味噌の醸造元、蔵や作業場が建ち並び、角地に立つ洋風の建物は大正時代末に建てられた事務所・応接室だそうです。
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 その先にある「長谷川酒造」は江戸末期の創業。「雪紅梅」で知られ、新潟米・信濃川の伏流水・越後杜氏の技術で磨かれた老舗とのこと。木造の蔵や作業場が連なる味わい深い景観です。
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 ここで引き返して光福寺へ。ものものしい雪囲いが印象的でした。このお寺さんは戊辰戦争の際に長岡藩の本陣となり、ガトリング砲と洋式武装した藩兵が配備されました。1868(慶応4)年5月3日、決裂した小千谷談判から帰陣した総督・河井継之助が諸隊長を集め、「長岡藩は義によって戦う」と宣言したのもここ光福寺です。
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 そして摂田屋公園の脇を通って旧三国街道へ、今では吉乃川蔵元の間を通る細い道になっていました。左手にあるのが吉乃川酒造資料館「瓢亭」ですが、完全予約制。
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 近代的な工場群の間をすこし歩くと古い蔵や商家が残り、お稲荷さんやお地蔵さんのいる、落ち着いた雰囲気の一画に出ます。これは醤油醸造元「越のむらさき」の建物群で、黒ずんでいるのはオリゼー(麹菌)のためなのですね。トレードマークとなっているのが戦前につくられた煉瓦製煙突。2004(平成16)年の中越地震で崩壊寸前となりましたが、補強されて今なお健在です。コンクリートブロックの小社に鎮座されているのは「道しるべ地蔵」、三国街道との岐路にあって台石には「右は江戸 左は山道」と刻まれているそうです。
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 竹駒神社の小さい社殿も麹菌で黒ずんでいました。社頭にはユーモラスで愛くるしい狐の石像、右側では子狐が前足にからみつき親を見上げていました。なおこのお稲荷さんは、宮城県岩沼の竹駒神社を勧請したもので、京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷とともに日本三大稲荷と称せられるとのことです。ん? 伏見と豊川は当確として、もう一つは佐賀県鹿島の祐徳稲荷ではなかったっけ。ウィキペディアによると、知名度の高い伏見と豊川に、地域の稲荷社を加えて権威付けしようとした地元びいき的な自称であるのが実情のようです。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2014-08-09 08:16 | 中部 | Comments(0)
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